同性愛者の生き方
こんにちは。
以前、結婚、出産はなぜするのかとの問に沢山のお答えをいただき、ありがとうございました。
あれから悩み、迷い、婚活もしてみたのですが上手くいかず。
ふと、自分の中で封印してきた気持ちに気付きました。
私は、男性を恋愛対象として見ることが出来ないのかもしれない。ということです。
思えば、初恋の相手は女性でした。
小学生の頃、習い事をしていた先で出会った少し年上の女の子で、綺麗な容姿に一目惚れし、気付けばいつもその女の子の事を考えていました。
それから中学、高校で好きになったのも男性ではなく女性。
手を繋ぎたい、付き合いたいと感じるのもいつも女性でした。
成人し、男性とお付き合いしたこともありますが、女性に対してのときめきやドキドキした気持ちを感じることがなく、なぜか違和感を感じ、別れてしまいました。
そんな中、周りはどんどん結婚し、出産していく。
自分はどんどん焦っていく。
それで以前の問いをさせて頂いたのですが、ずっと内にしまっていた気持ちには気付かず。
ふと、最近気付きました。
私は、女性が好きな同性愛者なのかもしれないと。
それに気付いたあと、絶望的な気持ちにしかなりませんでした。
本気で好きになる人はいつも女性のため、好きな人と結婚することや子供もつくれない。
周りに自分は同性愛者と言うことを打ち明ける勇気もありません。
どんどん気持ちは内にこもるようになり、しまいにはなぜこの先結婚も出産も出来ないのに、生き続けなければならないのだと思い詰めるようになっております。
この気持ちのやり場がなく、とても辛い日々を送っております。
同性愛者は、どうやって生きていけばいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛のかたち
michaelさん、こんばんは。
私自身、最近とても気になっているのが、LGBT、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)のことです。
2012年の調査で、日本の人口におけるLGBTの割合は、5.2%。つまり、約20人に1人です。決して少ない数ではありません。しかし、LGBTに対する理解や、教育が進んでいないのが現状です。michaelさんが、自身が同性愛者であることに気づいて、絶望的な気持ちになった。というマイナスの方向に考えてしまうのは、周りの環境によるところが大きいと思います。
私には、LGBTの友人がたくさんいます。その友人たちの中で、一昨年に、結婚式を挙げたカップルがいます。女性同士のカップルです。今の段階で、日本の法律では、同性同士の結婚は認められていません。しかし彼女たちは、たくさんの友人たちに祝福され、共に生きていくことを誓いました。
確かに、結婚したといっても、法的には何の根拠もありません。そして、子供をつくることもできません。ただひとつ確かに言えることは、彼女たちは、今、互いを尊重しあい、愛しあい、幸せに暮らしています。それが、彼女たちの愛のかたちだったのです。
少し、仏教の話をします。私自身は、仏教を、「ものごとの捉え方の教え」だと考えています。お釈迦様は、ひとつの事象に対しての見方、捉え方は、決してひとつではない。と説いておられます。
今、michaelさんが「この先結婚も出産も~」と悩まれておりますが、それはこの社会がもつ既存の、「女性は結婚して子供を産まなければばらない」という概念を先において、自分を見ているからではないでしょうか。「周りはどんどん結婚し、出産していく。」という環境を先において、自分を見ているからではないでしょうか。
そのプレッシャーは図りしれないものがあるかと思います。でもまずは、自分の気持ちを大事にされた方が良いと思います。自分がどうしたら幸せになれるのか、どのような形なら納得できるのか。社会や周囲のことはいったん切り離して、考えてみてはいかがでしょうか。
だいぶ難しく語ってしまいましたが、最後に具体的なこととして、まずはこのようなことを相談できる方を探すのがよいかと思われます。講演会などに参加してみるのも良いかもしれません。同じような悩みを抱えているのは、michaelさんだけではないと思います。
あなたが聞くべき声は、自分の声なのだと思います。
michaelさん
文章読ませていただきました。
辛い日々だと思います。
michaelさんを苦しませているものはなんでしょうか?
あなたは男性と結婚して
出産をしなければならないという
強迫観念のようなものを
抱いているようですね。
以前出された
“結婚、出産はなぜするのか”という
問そのものが、本当の自分を生きたいと
心が教えていたのではないでしょうか?
「結婚出来なくて悩んでいる」ではなく
「結婚、出産はなぜするのか」ですからね
本心では結婚したいという前提を欠いていたのでしょう
しかし、女性は男性と結婚し、
出産しなければならないと思っている。
そのため女性が好きな気持ちを封印し
男性と結婚して出産することを目指してきた。
苦しいのは
女性が好きだからではなく
自分を封印し、背いた自分を前提に
理想を立てているからではないかと思います。
背いた自分の理想に縛られる限り
あなたは辛い日々を送らざるえない。
michaelさん
あなたが聞くべき声は
社会でもなく、世間でもなく、常識でもなく
自分の声なのだと思います。
苦難はあると思います。
ただ自分の声を聞きながら生きるとき
苦悩が課題に変わるのではないかと思います。
好きにも色々ある
コンプレックスというのは劣等感という意味の他に「疎外感」という意味があるといいます。
あなたの気持ちは、他人から劣っているとかではなく、少数派、マイノリティゆえの疎外感・孤立感を強く感じておられるのかもしれませぬ(´-」ω-`)
ですが「生きる」ということは疎外感、孤立感とは別に、自分独自を生きることです。
人間の独自性は個性のカタマリです。自分にしかない性質、性格、個性。
その疎外感を、自分が本当に自分独自の個性に目覚め、自分だけの独自の道を真っ直ぐ進むための起爆剤といたしましょう。
人間は本当に誰とも比較はできません。
みんなが誰とも比較できない絶対的な存在です。
このhasunoha内に登録している僧侶たちも、顔も性格も声も好きな食べ物も宗派も宗派に対する理解の仕方も考え方も回答も趣味も生まれも好きになる相手もみな誰ひと~りとして同じ人はいません。
みんな違ってみんなイイのです。
先日知人から伺ったのですが、古代ギリシャでは愛をストルゲー、エロス、フィリア、アガペーの四つに分けたそうです。ストルゲーは家族愛、エロスは肉体的な愛、フィリアは隣人や友人への愛、アガペーは神への愛。
人間の好意や、愛にも色々ありますね。
そういう観点、視点で考えてみるのもいいかもしれません。
まずは自分は同性愛者だと決めつけないことです。
逆に同性愛者だと思いこむなら、同性愛者として異性を愛せる力があることも忘れてはいけません。
人間はとことん無我になれば男性でも女性でも愛せるものです。
知人の男性は結婚前にタイに行った時タイの女装した男性と一線越えてもいいとすら思ったそうです。
女性だって、同じ女性に対して可愛いと思ったり、敬意、羨望、友情など様々な形で、好むものです。
愛と一言いっても執着的な愛や、束縛的な愛や、自己愛、慈悲、文字通り他愛もない愛もあります。
ちなみに仏教のシンボル、観音さまは男性でも女性でもありません。
無私、無我、無自性、無自❝性❞。自分はこうだと決めてかからず、大きな愛に目覚める事です。
質問者からのお礼
随分とお礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
この質問をさせていただいてから色々あり、自分を見つめ直しておりました。
皆様のご回答、有り難く拝読させて頂きました。
男性とか女性とか関係なく愛せるのか分かりませんが、確かに私は「女性」「男性」を意識しすぎていたのかも知れません。
今好きな方がいますが、その方も女性です。
なぜ相手が女性なんだろうとか悲観せず、自分が相手のことを「好き」だという気持ちを大切にして、まずは素直に自分自身のその気持ちを受け入れようかと思います。
結婚、出産をしなければならないという強迫観念、確かにあったかもしれません。
「こうしなければならない」なんていう気持ちは、少し切り離してみたいと思います。
有難うございました。