私は薄情なのでしょうか
学生の頃から付き合いのあった友人との縁を一方的に切りました。
友人は昔から暗い部分があり、学生時代はいつも一緒の他の子達と励ましたりしていました。
卒業後、SNS上でも昔と変わらず苦しい助けて死にたいとぼやく彼女にみんなあの手この手で反応し、宥め、医者に言われた事を騙されたと思ってやれる事だけでいいからやってみたら?などと助言したりしていました。
しかし状況は全く進展しないばかりか、自分には大切な人など1人もいないから早く死にたい。と
今迄支えようとしてきた全ての人達の事を全否定するような事をぼやいているのを知り、もう付き合いきれないと縁を切りました。
私以外の子達は裏では嫌いじゃないけど面倒という感想を零しつつ未だに付き合いがあるようですが
よくここまで言われて付き合い続けていられるなと感心するのと同時に、縁を切った私はもしかして人間として相当薄情なのか?でも面倒臭いと思いながら楽しい時だけはノリ良く便乗してくるこの子達はじゃあ情に厚い人間なのか?都合の悪い時、反応しにくい時は見守ってるとはいうけど、それって実際はただの無視なのでは?と疑問に思います。
私は何事も需要と供給でなりたっていると思っていて
友達付き合いというのも一緒にいて楽しい、良い影響を受けられる、等お互いのニーズが合致してようやく友達だといえるのではないかなと思っています。
今回縁を切った友人とは私は一緒にいても楽しくない、プラスにならない、相手にとっても本気で構ってくれないようならそんな友達はいらないと互いに需要がない関係になってしまった為縁を切ったのですが
昔からの付き合いであれば無理にでも一緒にいるべきなのでしょうか?
今回のケースは目に見えないメンタルのトラブルで、すり減るのは周りの精神力と時間というコストでしたが、これがもし金銭だったり目に見えるような損失が出るトラブルであれば他の人も簡単に縁を切ってたんじゃないの?と思ってしまいます。
すぐ損得感情な思考になる所もやはり薄情で傲慢な人間という事なのかもしれませんが、意識改革をするべきなのでしょうか?
過ぎた人間関係は今更どうしようもありませんが、今後の人生に活かしたいです。
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尊重し合えるように
拝読させて頂きました。
人間関係ややこしくなることはままあります。生きていれば人のわがままや感情につきあうことはでてきますからね。本来はお互い様なのですが・・・。ただ一方的な関係は長続きしないですね。
ひたすら与え続けサポートし続けると与える側は疲弊し、与えられる側は当たり前の意識になってしまい。そもそもの関係が崩壊します。
利害まではいかなくても(ビジネスではありませんから)お互いが尊重し合う関係性は大切ですね。
与え続けることは仏様でなければできません。ボランティアサポートでもそれはひとそれぞれできる範囲です。ですからそれぞれ人にはキャパシティーありますから、薄情とはいえないと思います。
あなたのこれからの人生の中でお互いを尊重し合える大切なご縁に恵まれてそれを育んでいただきそれぞれにご成長なさって頂きたいと切に願います。どうぞ人とのご縁大切に。
縁は自分では切れない。話の章立てが変わる程度。
そして、貴女の価値観について、思うところを述べさせていただきます。チーン。
「あの子、もう切るわ。メリットないし」何だかカッコいいセリフかも知れませんが、私から見ると尊大に過ぎるように感じます。貴女の実生活がどのようなものか分かりませんが、兎に角その積み重ねの結果として「需要と供給」という価値観に辿り着いたのですね。取り敢えず、その自覚があるのは良いことだと思います。自分の価値観を(持っているにも関わらず)捉えられないひとは、「私、何も悪い事してないのに、どうして!?」と、原因を外に求めたくなるのです。
ですから、取り敢えず「損得勘定」で行ってみたらどうですか?でも、それで問題が出たら、「損得勘定って、ここでは通用しないなぁ」と気づいて見直して修正すればいいのです。
例えば恋愛とか病気とか、「生きているメリットとは?」とかね。
質問者からのお礼
御回答いただき、ありがとうございます。
自分自身の尊大さと、自分の常識が通用する場面とそうでない場面を見極めることの重要性について改めて考えていかねばと思いました。
また、今回の事とは少し違うのですが与え続けることは仏様でなければできないとの言葉に救われたというか、肩の荷が下りたというかそういったものを感じました。
特に自分が持っていて相手が持っていないもの(技術等)は相手が会得できるまで与え教え続けねばならないんだという正義感や使命感に似た驕りを持っていたので、相手があれができないと言えば手を貸し参考になる資料を貸しと余計なお節介を焼いていたのですがどれも一方的なものだったように思います。
そういった振る舞いも直していかねばならないなと気付くきっかけになったので良かったです。
自分の考えを改革するというのは中々難しいですが、精進できるよう努力していきたいです。
この度は本当にありがとうございました。