水子供養について
私は今年の2月に妊娠8週で流産しました。
流産にも子供の姿を確認出来たり出来ない等の種類がある中、トイレで生理用品に赤ちゃんが乗っていました。
流産するかもしれないと薄々感じていましたが、流産するのは初めての事で「一生懸命会いに来てくれてありがとう。優しい子だね。また会いに来てね。」という気持ちもあれば、その姿や出来事にショック・怖さ・気持ち悪さも感じてしまいました。
夜間で自宅の為、どの様にお別れをして良いか分からず、罪悪感が強くあるままトイレの汚物入れに「本当にごめんなさい」とお別れしてしまいました。
その後、水子供養へ行こうと考えていましたが、すぐに夫の両親が水子供養をしてくれました。
正直に大変ありがたいと思っています。
しかし、相談なくどこで行われたか分からない場所で水子供養を行われた為、自分で供養出来た気がしません。
時々流産した子供を思ったり、手を合わせる事もあります。
ですが、初めから自分で供養したいと周囲へ伝えていた事もあり、やはり自分の子供なので自分で供養したかったです。
大分月日が経過していて失礼な事を言っておりますが、改めて自分で水子供養の場所を探してお願いしに行くのは二重となり良くないのでしょうか?
また、勝手な思い込みだと思いますが、流産する前に、自分の肩の位置にある布団に小さく黒い影が寄りかかる形で見えました。
「少し怖いけど、赤ちゃんみたいな形。でも赤ちゃんが欲しいからそう見えるだけかな。気のせいだろう。」と思いました。
流産した後、会いに来てくれたのかな、怖いと思ってごめんなさい、と自分の都合の良い様に解釈しています。
あの影はやはり気のせいだったのでしょうか。
次にまた子供が欲しいと思いますが、流産した子供をどうすれば良かったのか、今はどうしているのか、私の事を怒っているか、寂しがっているのか等分からず気になり仕方ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご供養できます。やりましょう
そうですか、辛い体験をなさりましたね…文全体の雰囲気からちょっと引っかかるので、一応書いておきます。泣いて良いし、悲しんで良いんですよ。その時に怖さを感じたのも普通の感情です。後ろめたく思うことではありません。
ご供養は何度なさっても大丈夫です。水子供養なんて特別な言い方をするから何か特別な気がしてしまいますが、単純にご供養と言ってみましょう。法事だって○回忌と何度もやりますでしょう?毎朝お仏壇にお線香を立てて手を合わせたり、お水やご飯をお供えするのだって立派なご供養です。ご供養は何度でもやって良いのです。時間も関係ありません。
それに「他はこれ、我にあらず」という禅語がありますが、他人は自分ではありません。家族に立派な法事をしておいてもらうよりも、自分にできる範囲で精一杯のことをしてあげた方が良いに決まっています。自分で出来ない状態なら無理にすることはありませんけどね。その場合は他人にお願いするというも自分なりに精一杯です。
話を戻しますが、菩提寺(いつものウチのお寺さん)に相談してみてはいかがでしょうか。あるいは特に水子供養に力を入れているお寺さんもありますから、そういった所を探しても結構です。お寺のお地蔵さんにお参りしてお線香をお供えすることも出来ます。仏具屋さんや高野山のような大寺院でお仏壇用の水子地蔵さんもお求めいただけますから、そちらをご自宅のお仏壇に祀って供養する方法もあります。色んなやり方がありますよ。
黒い影…しゅうこさまの身体はきっと分かっていて、だから心の部分でも察した所があったのかもしれませんね。今の世の中、80、90まで生きても誰にも看取ってもらうことが出来ない人が少なくありません。母親の手の中で見送ってもらえたお子さんはきっと嬉しかったんじゃないかなと思いますよ。そして看取らせてくれたお子さんは、とても親孝行な子でしたね。「ごめんね」は要りません。ただ、「ありがとう。あなたに会えて良かったよ」という思いを線香に、あるいは焼香に託して伝えてあげて下さい。そして亡くなったお子さんの分まで遺された家族を、新しいお子さんを大切にしてあげて下さい。
質問者からのお礼
お忙しい中、アドバイスを頂きありがとうございます。
流産した時は、仕事をしながら数日泣いてしまいました。
泣いたら流産した子供が心配するかな、と思う事もありました。
しかし、何年も子供が欲しくてやっと出来た子供だけに、短かい別れと幼いながらも最期に会ってくれた頑張りと優しい気持ちがとても切なく悲しかったです。
また供養について教えて頂きありがとうございました。
何度しても良いという事・色々な方法を知り安心しました。
もう一度家族に水子供養について話をしたいと思います。
思い切って相談して良かったです。
ご丁寧に話を聞いて下さり、本当にありがとうございました。