なかなか人生前に進めない。
今、自分の人生どのように進んでいけば良いのかわかりません。
現在45歳で無職、ハローワークに何度通っても年齢でひかかって仕事も見つからないし、父は他界、母は認知症で介護施設に入居してるし、兄がいますが、兄も仕事や将来の悩み事があって、お前の悩み事はどうしたら良いのかわからないと言われました。
外出するとスーツや作業着を着ながら一生懸命仕事しているのをみているととても羨ましく見えてしまいます。まあその人達一人一人絶対私生活や仕事に何か悩み事は必ずあるに決まっていると思うし。
血のつながりのある人達ばかりでなくても他人でも誰かと出会いがあれば以外と相談者として話しに乗ってくれるのではないかと思いますが世の中そう簡単には行かないと思います。
今、八方塞がりでこのまま寂しく人生を歩んでしまうのではないかととても不安で孤独でしかたありません。
母の介護、今は施設にいますが私は無職です。 年齢は45歳です。母は2014年4月から6月までデイサービス、7月からデイサービスと施設との両方、2015年4月から施設に完全な入居です。 兄との3人家族です。父は2006年に他界。 とにかく自分を否定されると気にしてしまう、その言葉が頭から離れず、 いつまでもくよくよしてしまう。他人と比較してしまう。 必要最低限の生活ができるだけで幸せだと思います。 自分の周りに人が集まってくる人物になりたいです。
私はもう10年、ふわふわめまいで苦しい日々を過ごしております。病院で頭や胸、血液検査などの確認をしても異常なしといわれ、正式な病名は一度も言われた事がなくどうすればいいのか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
尾崎豊かな
こんばんは。僕も同じ40代、ただし終盤です…。高校生の時、ナマで代々木かどこかへ尾崎豊を見に行きました。「卒業」、謎かけのようで懐かしいです。
少し違った角度から…程度でしか話せませんが。
八方ふさがり…そうかもね、でも、「逆らい続け、あがき続けた。早く自由になりたかった」を信じるしかないね。尾﨑は「学校からの自由」を歌っていたはずだけれど、自由ってもっと広く捉えていいものだと思うよ。3枚目のアルバムだったか「自由っていったい何だい?どうすりゃ自由になるかい?」と呼びかけておいて答えはなし。僕は楔を打ち込まれた感じで、今でも考え続けている。
寂しく人生を歩む…そうかもね。ぼくは定職もあるし住まいもあるし家族も子どももいるけれど、やっぱし「最後は自分ひとりで歩くのが人生」だなって思ってる。どこまでいっても「他人同士が気を遣いながら一緒に住んでいる」のが家族だと思うし。だから一定の役割が終わったら、いちどお互いを解放していいんじゃないかと思うほど。
とても不安で孤独で仕方ない…そうかもね。でもこれ、「問いの立て方」、”おとり効果”かもよ。「並カレー700円、特製カレー1500円」だと売れない特製が「極みカレー3000円」の横にあると「特製、いってみよう」になるようなもの。つまり選択肢とか問いの立て方で、考える幅が制限されるって話。ここからの「自由」こそ目指したいね。「人生どのように進んで行ったら」?」という問い方自体が、自由を奪っているように見えるんだ。
質問者からのお礼
深夜からのご返答ありがとうございました。