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仏様はわかってくれるのか

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有り難し有り難し 14

僕は最近家の仏壇でお参りしているのですがお参りしている最中に考えていることと逆のことが浮かんでくることがあります
それで仏様に対してとても不謹慎なことが浮かんできて考えるなと雑念を消そうとしていたのです。ちなみにうちは浄土真宗です。
仏様は本当の僕の気持ちをわかってくれると思いますか?
あと浄土真宗は死んだら極楽浄土にどんな悪人の人でも更生して南無阿弥陀と唱えれば行けるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご安心を、全て仏の手の上です

ご相談拝見しました。
私は浄土真宗(真宗大谷派)の僧侶です。お住まいの地域には私も宗派職員として地方事務所に5年半ほど勤務しました。そういったご縁もあり勝手に親しみを感じております。
やはり真宗が盛んな地域性もあってか、お若いのに熱心にお参りなさり、かつその自らの有様を確認しようとなさっているのですね。誠に喜ばしいことと存じます。

さて、ご心配の点ですが、もちろん仏様はわかってくださるでしょう。
そのわかってくださる内容というのは、本当のあなたの気持ちをむしろあなた自身に知らせ、気づかせてくれるということでしょう。
それでいて、そのままでよいよ、そのままおいでと包んでくださるのです。

仏様に対し不謹慎な考え、雑念、疑いが出てしまうのですね。

それは僧侶である私も実は同じなのですよ。どこまでいっても仏様を信じきれない、疑いの心を持ってしまうのが私たちの煩悩です。
煩悩は思い通りになりません。ですから考えたくもないことが勝手に浮かんできて考えてしまいます。
人間はそういう弱い存在なのです。

それをお見通してくださるのが仏様。疑ってしまう弱い心もお見通しです。

「私が私の力で信じる」という信心は弱いものです。

浄土真宗は阿弥陀様の教えを聞いたそのままが信心です。

「念仏すれば極楽浄土に絶対にいけます!」と私が私の力で信じて言うところには「本当に極楽浄土に連れていってくれるんだろうな?そうじゃないと困るぞ」という私の魂胆・都合が見え隠れします。「浄土にいけなかったらどうしよう」という弱さ・恐怖が見え隠れします。

そうではなく、「阿弥陀様がどんな人でも必ず浄土におさめとるぞ」と言っているのです。それをそのまま聞く、聞いておまかせするのです。阿弥陀様がそう言ってるのですから私が信じようが信じまいがおまかせしとけばよいのです。

もっと言うなら、地獄でも極楽でもどちらでもよいのです。もともと私の力のおよぶところではありませんから阿弥陀様におまかせするしかありません。

どこまでも疑う私の弱さに気づかせいただき、それでいてその私をそのまま包んでくださる阿弥陀様のはたらきに気づいた時、申し訳ないと頭が下がり、有り難いと手が合わさり、南無阿弥陀仏と感謝せずにはおれません。

だから大丈夫です。
疑うあなたもそれを含めて仏様、阿弥陀様の手の上にいるとご安心ください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

小屋から出てきた仏像について

先日、祖父の家の物置小屋を探検していました。私が知っているのは、祖父の家は江戸時代から13代続く家です。 そのため、小屋にはなんか凄いの入ってそうだな、という木箱や竹籠が沢山あります。 色々見ていたところ、主に朱塗りのお膳セットや陶器でした。 しかし、父がふと この木の棒なんだ? と、足元の樽の上にあったものを手に取ると。 仏像でした。私は仏教は好きでお釈迦様の教えなどは好んで知ろうとするのですが、仏像に関しては分かりません。 その仏像は30センチくらいの立像で観音様でしょうか。 スラッとしていて右手は人差し指と親指をくっつけて上を向き、左手は下を向いている美しい仏像でした。 仏像の乗っている台の下には 先祖代々永享元年 と書かれており、調べてみると室町時代だとか。 もうひとつも立像で、胸の下あたりに法界定印(調べました)を組んだ お地蔵さま?お釈迦様?です。 これは、年代は不明です。10センチから15センチくらいです もうひとつは、20センチくらいの扉のついた彫り物です。3センチ程の人物が3人いて、御一方は不動明王様でした。 長くなりましたが、無造作に埃まみれの小屋において置くのも嫌だなと、見つけたのも何かのご縁かと思い、汚れを拭き取り綺麗にしました。 これらは、仏壇で一緒に手を合わせていいものでしょうか。 良ければ教えてください。曹洞宗です。

有り難し有り難し 15
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本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

有り難し有り難し 12
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