仏様はわかってくれるのか
僕は最近家の仏壇でお参りしているのですがお参りしている最中に考えていることと逆のことが浮かんでくることがあります
それで仏様に対してとても不謹慎なことが浮かんできて考えるなと雑念を消そうとしていたのです。ちなみにうちは浄土真宗です。
仏様は本当の僕の気持ちをわかってくれると思いますか?
あと浄土真宗は死んだら極楽浄土にどんな悪人の人でも更生して南無阿弥陀と唱えれば行けるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご安心を、全て仏の手の上です
ご相談拝見しました。
私は浄土真宗(真宗大谷派)の僧侶です。お住まいの地域には私も宗派職員として地方事務所に5年半ほど勤務しました。そういったご縁もあり勝手に親しみを感じております。
やはり真宗が盛んな地域性もあってか、お若いのに熱心にお参りなさり、かつその自らの有様を確認しようとなさっているのですね。誠に喜ばしいことと存じます。
さて、ご心配の点ですが、もちろん仏様はわかってくださるでしょう。
そのわかってくださる内容というのは、本当のあなたの気持ちをむしろあなた自身に知らせ、気づかせてくれるということでしょう。
それでいて、そのままでよいよ、そのままおいでと包んでくださるのです。
仏様に対し不謹慎な考え、雑念、疑いが出てしまうのですね。
それは僧侶である私も実は同じなのですよ。どこまでいっても仏様を信じきれない、疑いの心を持ってしまうのが私たちの煩悩です。
煩悩は思い通りになりません。ですから考えたくもないことが勝手に浮かんできて考えてしまいます。
人間はそういう弱い存在なのです。
それをお見通してくださるのが仏様。疑ってしまう弱い心もお見通しです。
「私が私の力で信じる」という信心は弱いものです。
浄土真宗は阿弥陀様の教えを聞いたそのままが信心です。
「念仏すれば極楽浄土に絶対にいけます!」と私が私の力で信じて言うところには「本当に極楽浄土に連れていってくれるんだろうな?そうじゃないと困るぞ」という私の魂胆・都合が見え隠れします。「浄土にいけなかったらどうしよう」という弱さ・恐怖が見え隠れします。
そうではなく、「阿弥陀様がどんな人でも必ず浄土におさめとるぞ」と言っているのです。それをそのまま聞く、聞いておまかせするのです。阿弥陀様がそう言ってるのですから私が信じようが信じまいがおまかせしとけばよいのです。
もっと言うなら、地獄でも極楽でもどちらでもよいのです。もともと私の力のおよぶところではありませんから阿弥陀様におまかせするしかありません。
どこまでも疑う私の弱さに気づかせいただき、それでいてその私をそのまま包んでくださる阿弥陀様のはたらきに気づいた時、申し訳ないと頭が下がり、有り難いと手が合わさり、南無阿弥陀仏と感謝せずにはおれません。
だから大丈夫です。
疑うあなたもそれを含めて仏様、阿弥陀様の手の上にいるとご安心ください。