18年半の人生の中で…
たびたび、すいません…
体調を崩しお休みをしている間に今までの事を考えてみた所
私は今までの人生の選択の中で自分の思うように決めた事がないように感じました。
学校では人がやりたがらないような仕事は全て私が引き受けて時には委員会を3つ掛け持ちしたり、進路も親に言われた訳ではないのですが国立に行かなければ…と思ったり
全て、自分の本心ではなく周りの人の事を気にして生きてきました。
それが全て悪いとは思いませんが、この性格を続けると精神的な病も永遠に治らないと思います。
このような性格はどうしたら変えられますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご縁の中で主体性を持ち生きる
ご相談拝読しました。
「今までの人生の選択の中で自分の思うように決めた事がない」
とのことですが、本当にそうでしょうか。どの選択も自分が本当に嫌だ、どうしても嫌ならそれを選んでいないのです。
親や周りなど様々なご縁にもよおされてではありますが、最終的には私が選んだのだと引き受けていけるところに人生の主体性が生まれます。
それでもやはり本当は違う選択がよかった、または選んだものは嫌だったというのであれば、これから変えて生きましょう。自分の思いに耳を傾けてコレをしたい!というものを選びましょう。
これからどうするかが、これまでどうしてきたかも全て包み取ります。何一つ無駄はありません。
それからもう一つ考えていただきたいのは、では自分で選んでないとしたならばその他に自分は本当にこれがしたいという選択が別にあったのか?ということです。
私はこれがしたい。これが本当の望みだ。なんてことはすぐにわかるものでもないでしょう。
であるならば、親の教育というものはいつかこの子が本当にしたいものに出会えるようにと可能性をふくらます選択を提案してくれていたのではないでしょうか。
それとは別に本当の望みがすでにあるならそれにまい進すればよいのです。しかしないならば、とりあえず国立にいくのでも、狙えそうな私立にいくのでもどちらでもよいのです。
やりたいことが分からないから考える、というのでやりたいことは分かりません。やみくもに進めとは言いませんが、とりあえず今の選択肢の中を進んでいく中ではじめて何か自分のセンサーに引っかかるものが出てくるはずです。
人がやりたがらないような仕事でも引き受けてきたあなた。あなただからこそできる事、進める道がこれから待っていますよ。
あなたのその性格、私は素敵だなと思います。それが悪いなんて思いません。
進む道がわからないうちは周りに相談し、その中でこれからは自分で選び取っていきましょうね。
選ばせてくれたご縁に感謝しながら、選んだ責任は自分が引き受ける、それが主体性です。
まずは体調回復を!お大事にお過ごしください。
空を離れず自由に飛び回る鳥のように
真依さん
とっても頑張り屋さんなんですね。尊敬します。
私も少なからず、周りの期待に合わせて人生の選択を何度かしてきました。例えば僧侶になることも、なりたいともおもわず何となくなりました。後継ぎと言われ育ち、でも最終的には自分で決めた道だと思っています。うまくいかない時は人のせいにしたくなる時もありました。がやはり自分のことでした。
あなたは責任感で多くの仕事を引き受けてしまうのでしょう。しかし、許容というのがあると思います。あなたも嫌だと感じた時は無理をしないことが大切です。嫌なときに、自分の思いを素直に表現できることはとても大切です。
具合が悪いときには具合が悪いと言って休んで良いのです。苦手なことには苦手だといってください。断る勇気を持つことも大切です。周りのことは考える必要がないことが沢山あります。もっと自由に生きてみてください。
機会があれば是非坐禅をおすすめします。形だけではなく、人生の学びになると思います。わからなかったら聞いてください。