回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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夢から覚めて 真実を生きる道 禅を学んでください
夢を見る生き方は禅ではありません。
禅とは、東洋の叡智。一言でいえば仏教のエッセンス、エスプレッソ。
「今を迷いなく生きること」です。
ちなみに、夢とは何かを禅風にお話しいたします。
「夢とは1秒より以前すべての事。1秒後のすべてのこと」です。
では、夢でない時があります。
それは、たった今の瞬間を、ハッキリ確かに、思いに騙されずに生きることです。
それが禅の生き方です。
確かにあなたは夢を見ているでしょう。
なぜならば、たった今のリアルの現実、この瞬間を生きずに、過ぎ去った過去や未来のことでいっぱい。過去や未来への思いの中で生きているからです。
よかったら一度、お寺に来れたら相談に来てください。
以前のお悩みが消えず、仲直りする気があればご主人も連れてきて下さい。
「思いの世界」ではなく「現実」を生きてみましょう。
過去をアレコレ思わずたった今を生きるようにしましょう。
未来をアレコレ思わずたった今をいきるようにしましょう。
そういう風に生きるコツがあります。それがZENです。
0.0001秒前からは全て過去だから記憶です。だからすべて実体のない夢です。
今から0.0001秒後はすべて未来だから想像です。だからすべて実質が無いので、まさに夢です。
アナタが「人生が夢だ」と感じるのは、そこです。
そうやって、頭の中で生きている時、人生は夢のように虚しいです。
私は禅に出会って、本当に、たった今の現実を食べ続けています(笑)。夢は残りカス《過去》だったり、絵に描いたモチ《未来》で食べようとしても、形が無くて美味しくないので食べません。(笑)
現実をちゃんと生きる事は、過去と未来という夢を食べる事ではありませんから、とても実質的でフルーティーで美味しいです(笑)
死ぬまで楽しく生きられます。もう過去を振り返って、虚しさを感じらり人生全てまで夢扱いしません。今を生きられるからです。これから先のこと思って心をぼやかすような事はあまりしません。
せっかく日本に来たのです。
禅を学んでみませんか。
過去にも縛られず、未来にもおびえることなく、たった今を完全燃焼で生きる事ができるからです。
禅はあなたがあなたを生きられる教えです。
「夢」と「如夢」の相違について
青空様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し虚無的、絶望的なお気持ちをお抱えになられておられるようなご様子・・ご心配申し上げます。
「人生は夢でしょうか?」・・
確かにこの世の無常の儚さを表現する意味において、「夢」がよく例えられます。
例えば、「敦盛」や「平家物語」などが有名でございます。このことは下記の問いにて扱わせて頂いております。
問い「実母の死」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972230.html
また、上記の問いでお答えさせて頂いておりますが、仏教における「夢」の表現の例えというものは、「空」、「無実体・無自性・無自相」を示すための意味で用いられますが、厳密には、「如夢」として「夢の如し」で、「夢」そのものではなく、あくまでも「夢に似ているもの」ということになります。
夢というものには実体が無いということは理解できると思います。実は、それと同じように現実の私たちのありようも実体としては成立していないということを「夢」という表現で示そうとするのですが、但し、現実のありようは確かに実体としては成立していなくても、「縁起」として成立しているのは紛れもない事実となります。
※「縁起」に関しましては、下記の各問いをご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/縁起
この「実体として成立していなくても、縁起として成立している」ということの理解が仏教においてあらゆるモノ・コトを理解していく上で誠に大切なことになります。
もちろん、夢も「縁起」として成立しているものでありますが、現実と異なるのは効果的な作用力は持ちえていないということでございます。このあたりのことは非常に理解が難しいのですが、例えば、夢の中で起こった巨大地震は何も被害はもたらしませんが、現実の中で起こった巨大地震は大きな被害をもたらします。この現実的な作用力の差異が「如し」であくまでも「イコール」ではないというものとなります。
「どう生きて行くべきか」・・
その指針となる教えが仏教にはたくさんございます。是非これを機会として学びを少しずつでも進めて頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
丹下 さま
ご回答いただきありがとうございます。
最近の自分は確かに怯えており、冷静に分析出来なくなりましたので、体内時計にストップをかけています。
全てにマテ!と言いたいです。
出来れば誰かに凍らせてもらいたいです。30年後元気が出たら解凍して欲しいです。
せっかく誘っていただき嬉しいですが、旦那は全てにおいて非協力的です。ついて来てくれるとは思えません。絶望的です。自分の中でよくお言葉を消化して自分の気持ちと相談してみます。
正直、両親と子供がいなければもう生きてなくてもいいと思います。将来は子供が独立して両親がいなくなれば、私も着いていきたいなと思います。両親が子供への愛は残酷だなと思うことがあります。なぜなら誰と結婚してもその最高な愛を超えることはないでしょうから。
気持ちの整理が少し着いたら、またよろしくお願いいたします。
川口さま
大変ご丁寧に回答していただきありがとうございます。返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
改めて仏教の深さを考えさせられました。
これからは心の救いを求めて、少しずつでもお学びできたらと思います。
また機会がありましたら宜しくお願いいたします。