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人が嫌いなのに人に寄り添いたい

回答数回答 3
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はじめまして。いつも拝読&勉強させていただいております。今回はお坊さんの方々の意見が聞きたく、質問させて戴きます。
自分は去年の年末に、会社の仲間の何て事無い一言からフラッシュバックを起こしその辛い記憶から自分を切り離したい為にカッターを腕に当てました。
親にも、自分を心配しながらも見守ってくれている会社の誰にも腕を晒すことが出来ず、「気付かれたのではないか」「非難されるのではないか」と人に怯えて、波のように押し寄せる衝動に負けて今日まで更に傷をふやして、人を遠ざけてきました。

一年も後半に差し掛かり、少しずつ自分に心境の変化が出てきました。「気付かれて、嫌われても自分のしたことだから仕方がない」「他人の思いまで自分がどうこう出来ることではない」「今までどうり(怯える前)の自分でいることが大事」と。

さて、上記のような思いに至った頃から少しずつ自分に“心理学(カウンセラーのような)”への興味を感じ始めました。
“自分と同じような痛み、悲しみ、苦しみを感じている人”の力になれるのではないか?何も出来なくても寄り添えるのではないか?と、身の程知らずですが思い始めました。

しかし、今の自分自身の事でいえば 介入・干渉されるのが苦手で孤独を好みあまり他人に深入りしません。他人の噂話にも加わりたくない、人と距離を取りたい人間がなぜこのように思うようになったのか、正直判らずにいます。
カミングアウトもできないような人間が他人様の助けになることは出来ないですよね?

長文で判り難いかもしれませんが、お坊様の考えを聞かせて戴けましたら幸甚です。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そわか(幸あれ)

私は高校生の時、人が大嫌いでした。同級生はガンガン無視していましたし、意味もなくレジの店員さんにガンたれたりしていました。とっっっても黒歴史です。でも、大学生になってからバイトを続け、後輩のキャリアパスに関わりながら一緒に泣いたり笑ったりしているうちに(あ、俺って意外と人が好きだったんだな…)と気付きました。んで、お坊さんになりました。

そんなもんです。だって諸行無常だもの。人は変わって良いのです。変わるのが自然なんです。だからカウンセラーになって良いのです。人に寄り添って良いのです。他人様の助けになって良いのです。なんならまかり違ってお坊さんになっても良いのです。ギャーテーギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージー、ソワカです。この河を渡っちまえ!幸あれ!です。

この世界は原因と結果の網の目のような繋がりによって成り立っています。私たち人間もその網の目の1つです。で、あるならば、私たちは自分に繋がる原因を1つ1つ大切にしていくことでしか、自分を大切に出来ません。つまり他者を大切にすることこそ、実は自分を大切にする方法だということです。きなこさまが目指す道は、きっときなこさま自身の救いになりますよ。

さて、もう言う必要は無いと思いますが、自傷行為は意味が無いです。私も指を焼きましたが、過去の苦しみを刻印しただけでした。逆効果ですね、あれは。どうしても傷痕の違和感に意識が向き、かえって思い出してしまいます。もしまたやりそうになったら「お坊さんが逆効果だから止めとけって言ってたから止めとこう…」と思い出してください。

カミングアウトは機縁が満ちれば自然とやってしまいます。お坊さんなんてカミングアウトが仕事みたいなものですが、仕事になれば心境も変わります。制服の力とか場の空気もあります。その辺は気にしなくて良いです。

心理学を学ぶときは時代順に学ぶのはオススメしません。古典的心理学は人の認知の間違いを探し出して早期に対応することを主眼としているので、自分も含めてガチで人を信じられなくなります。カウンセラーなら臨床心理学ですね。

ぜひ頑張ってください。人は変わって良いのです。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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お寺は苦しみをわかちあうところだと思っています

仏教の最重要教義は「一切皆苦」です。
この世界に生きているということは、なにひとつ、自分の思いどおりにならない。
すべてが苦悩なのだ、ということです。

仏教の目的は、苦悩をいかない軽くするか、この苦悩に満ちた世界をどう生きるか、です。

カウセリングや精神医学だと、「治療するものと、されるもの」に別れていますよね。

しかし、仏教はそうではないのです。

私の卒業した僧侶養成学校では、「職員、学生の区別なく、ともに、仏から直接教育されなければならない存在なのである」といいます。

すべての人間が苦悩している。

仏教に縁のある人達は、上下関係ではなくて、みな平等に、仏様(真宗だったら阿弥陀如来)から、直接、教育されなければならないということです。
どちらかが、どちらかを救うのではなく、みなともに、仏から直接、教化され、救われていく。
それが仏教だと思います。

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おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
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大丈夫です。できます。

拝読させて頂きました。あなたがその様な想いに至ったことは大変素晴らしいことかと感じました。人が嫌い、それでも人と縁を結びながらしか生きていけないそれが私達でございます。
どのような経緯にしろあなたの心の作用がそう至ったことはこらからあなたの言動にて救われていく方がきっといらっしゃることでしょう。
私もそうですからね。私も子供のころから精神的な障がいを持っており、今もそうです。
ですから私にできることは限りがあると思っています。それでもどなたかの役に立てばと思っております。傷つき苦しい思いをしたものでなけらば本当の苦しみは分からないです。
人の苦しみを全て取り除くことは私達には無理かとは思いますが、ほんの少しでも人の苦しみを取り除き解放して頂ければといつも思っています。
あなたにもどうかご自分の今までのことを糧に多くの方のお力になって頂けたら素晴らしいことです。
あなたのその様な想いや行為は必ず仏様やご先祖様が見ていて下さります。そしてあなたをいつも守って下さいます。
どうかこれからあなたが思うように苦しむ方のお力沿いなさってくださいね。私も微力ながらがんばります。お互い適度に頑張りましょう。あなたをこれから応援させていただきます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

大慈 様
回答を早くに頂戴しながらお礼が遅くなってしまってすみません。何度も読み返させていただきました。いまだに心が振り子のように大きく振れてしまって、質問に書いたような思いを持ちながら心がグラグラと揺れるのを感じる時があります。
自傷の経験のお話、大変為になりました。
今までは、「自分を大切にできない人は、他人を大事にできない」という言葉を良く聞いてきました。(自傷があるが故に自分を苦しめていました。)大慈様の回答コメントと逆なのですね。。大事にするのは自分なのか、他人なのか、順番は関係なく同じ意味なのか、奥が深い言葉ですね。今回の経験を自分の糧と出来るように、大慈様の回答を思い返しながらゆっくりと自分の内を成長させていきたいと思っています。ありがとうございました。

佐藤精徹 様
なるほど、「みんな平等に」というところが肝要なのですね。自分は仏教の世界についても勉強が足りないもので、学ばせていただきました、ありがとうございました。まだまだ佐藤様の回答コメントから多くのことを得たいので今後もこの回答をじっくりと読み込んでいきたいと思います!

一向寺  kousyo Kuuyo Azuma 様
お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 正直に言うと、今でも苦しい時があります。自分に誰かを助けることができるだろうか、行動で救われるという人はいるのだろうか?(傲慢ですね。。)自分を大切にできない自分が?? でも、悩んで、涙を流してアドバイスも貰えずに苦しんでいる人にほんの少しでも考え方の転換の力添えになればと思う時もあります。。
未だに自分自身が悩み・苦しみ、希望、の振り子の中ですが、この中から見つけた小さな答えが誰かの糧になるように自分のご先祖さまや仏さまに見守られ、お力・お知恵をお借りしながら適度に頑張りたいと思います! 

「助けたい・寄り添いたい」問答一覧

寄り添ってくれる人を信じ、支え合いたい

いつもお世話になっております。 母として、妻として、毎日が過労で押しつぶされそうになるほどのここ数年あまりでした。 その苦しみから「離れてもいいんじゃないか」という一つの選択肢が現れ、じっくりと行きつ戻りつの今日この頃です。 前回の質問、結果的にはお坊さんのお言葉に絡まった心を解かれ「伝えた」ことで新たな進展・深まりがありました。 また前々回の質問にも深謝の限りです。 その節は本当に、ありがとうございました。 私を助けてくれた相手は、 悲しみをこぼせる人 その時背中に手を当ててくれる人 「なんでも、何時間でも聴きます」と胸に手を当ててくれた人 一緒に「おかしいこと」には憤ってくれる人 自己実現への相談に乗ってくれる人 「あなたが努力家だと、わかっています」と認めてくれた人 私の夢が叶い、将来互いに仕事仲間となることを楽しみにしてくれる人 本を貸したお返しに「僕のも良かったら」と差し出してくれる人 自分についてきてほしいと、遠回しに私を待っていてくれる人 自分の身を多少犠牲にしても、荷物を取ってくれる人 「焦らずに自分のペースで」と、必要なブレーキをかけてくれる人 しなやかな体力のある人 大切なことを伝えるためには、あえて強い声・まなざしもくれる人 むしろ、私の前では作り笑顔はしない人 「僕には気を遣わないで」と強く放つ人 「直感」で選ぶ人=ここ一番の決断力がある人の 観察、傾聴ののち熟慮したうえで客観的なアドバイスをくれる人 自分の使命感にまっすぐに、仕事を増やしたいと燃えている人 「結婚したい、けど(今は)できない」と率直に投げてくれた人 私を必要としてくれ、私が楽になれるように心も体も知恵も捧げてくれる人 もちろんまずは、「離婚を経てから」ですが、心をえぐられ続ける関係の家族とは、いったんリセットし、夫も私も子もお互いに幸せになれる第二の人生を歩みたいと考えています。 良き相手の存在を感知した深く狭い付き合いの親しい女性友人は「ゆっくりね」「よかったね」と、有り難く共感と心強くエール・GOサインをくれます。 彼の職場関係の仲間も同じく、ウェルカムで関係を育んでくれています。 このまま流れに従い、相手が望むのであれば、私を選んでくれるのであれば、慎重に、焦らずに…つらく痛い心の胸騒ぎをどうにか新しきご縁の手と真心で鎮めながら、毎日を積み重ねていきたいです。

有り難し有り難し 17
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人に寄り添えるようになるには

約一年前から、夫が慢性疼痛で、昼も夜も痛みに耐える日々を送っております。 疼痛は『過度なストレス』が続いた時に、脳が混乱して、触れただけでも激痛、というような状態を作ってしまう鬱の一種のようなものです。 もともと神経質な上に、コロナ、事業のこと、両親の離婚問題、経済的な問題などなど、いろいろなことが重なって起きたことが原因だと思います。 夫から疼痛を早く治したいからもっと寄り添ってほしい、と求められます。 夫のいう『寄り添う』、とは常に相手を視野に入れ、気遣い、自我を抑えて相手に合わせる、自分がやりたいことではなく相手が求めることをする、というようなことです。 夫は私(人)に対してそのようにしているそうですし、実際に私が落ち込んだ時には全集中で対応してくれます。 そう言われて、いかに私が自分の人生で人に寄り添うことが出来ていなかったか、を痛感しております。だから夫が疼痛になったとも言えます。 これを機に人に寄り添うことが出来るようになったら、素晴らしいと思いますが、とても難しいようにも感じます。 実際には、癒やすどころかもう夫と離れたいと思っている自分も居るからです。 でもこんな自分で独りになっても、孤独な人生だろうと想像します。 人に寄り添うことについて、何か教えていただけたら有り難いです。 どうぞ宜しくお願いいたします。 追記:夫の不眠症は、疼痛の処方でもらった睡眠導入剤で今は緩和されています。ただ、私の抑えられない眠気は、疼痛の主な原因になっているようです。

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精神科主治医の「回復ポイント」になりたい

 いつもお世話になっております。昨年の暮れから今年の1月 中旬まで、普段通院している病院に入院しておりました。  その際、外来も担当してくれている先生が、献身的に治療して くれました。  毎週面談があったのですが、 「改めて、ロータスさんの家の話、亡くなった親御さんたちの話 (成育歴。ケアに大事な手掛かりとなる)を詳しく聞かせてほしい」 と言われたので、話しました。先生は、一言一句漏らさずカルテに メモを取りながら、眉間に皺を寄せていました。  ある夜、廊下の死角に隠れて、医局に入る先生を驚かそうと思い 飛び出したら、先生の上司の先生で、やんわりと、 「あんまり、そういう事しないほうがいいよ~」 と注意されてしまいました。薬を飲みにナースステーションに 行ったら先生がいたので、先生が来たと思い込んでやらかしたのです。  看護師さんに、軽い気持ちで「やらかした~」と話したら、なぜ そういう事をしたのか尋ねられました。 「なんか…先生とか支援者さんに甘えたくなっちゃうんですよ」 と言ったら、 「じゃあ、その『甘えたい』って気持ち、先生に言ってごらん」 と言われました。  そして、成育歴を話した後、ふと、 「気持ち悪いって思われちゃうかもしれないんですけど…その… 先生たちに、甘えたくなっちゃって」 と言ったら、 「大変な家で育ったんだから、しょうがない。別に、かまいませんよ」 と、受容してくれました。  退院後初めての診察で、やらかした夜の話をしたら、先生は、 机に突っ伏して、「聞いたよ、看護師さんから!」と言って大笑い していました。クールな先生がそこまで笑う姿は新鮮で、それを 見た瞬間、普段激務の先生に和んでほしい、先生の「回復ポイント」 になりたい、と思うようになりました。体を壊してほしくないので。  先生は、病棟と外来を兼務し、ロクデナシどもと毎日やり取りして、 消耗しています。看護師さんにも、 「先生、帰るときヘトヘトだから、大好きなら、労わってあげて」 と言われました。  先生は、冗談の類が通じません。エイプリルフールも、好きでは ないそうです。何がリフレッシュになるのか聞いてみようかと思い ましたが、個人的な事を聞くと、「ヒミツ」と言われてしまいます。  どうしたものでしょうか。くだらない質問ですが、ご高見を 頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 8
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精神疾患があったかも知れない夫との離婚

元夫との離婚についてです。結婚直後から精神的DVがあり、私が適応障害になって仕事にもいけないほど悪化したことからまだ好きな気持ちがあったものの行政機関の助けを経て逃げるように離婚しました。 離婚当時はうつ状態に近く自分を立て直すことに精一杯で相手の事まで考えられなかったのですが、最近になって元夫の生育歴や行動を落ち着いて調べていくと愛着障害からくる人格障害や強迫性障害などの症状と一致しました。本人に病識はなく、社会的にも迷惑をかけるところまでいっていないのでグレーゾーンなのだと思います。 元夫は自己中心的ではあったものの、生きずらさに悩みを抱えていました。ただし、「自分は悪くない、周りが悪いからオレは上手くいかない」という発想でしたが。 前述したように元夫に病識はなく、おそらく周りも気が付いていません。単純な嫌がらせではなく病気からくるものであればもう少し様子を見ても良かったのに、と離婚を激しく後悔している自分がいます。 この思いをどのようにしたら手放す事ができるでしょうか。 また、一度は結婚するほど好きになった相手であり、出来ることなら適切な治療を受けて楽になって欲しいという思いがあります。 離婚時に逃げるように去ってしまった後ろめたさから交流は一切していません。私は元夫にこの事を伝えたほうが良いのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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主人に対しての申し訳ない気持ち

私は8年程前に離婚し、その1年半後に今の主人と再婚しました。 再婚当時私は45歳で、子供は授からないとあきらめていました。 なので主人にはその旨を初めに伝え、そんなこと気にしないと言ってくれたので再婚することになりました。 元主人から離婚を言われましたが、離婚の何年も前に元主人が浮気をし、その時離婚して欲しいとお願いしましたが信用取り戻すとか色々言い、その時は離婚しませんでしたが、その日を境に相手に対してしてあげようと思う気持ちが薄れて行き、家事等を適当にするようになりました。それは私のいけないところだったのかもしれません。 その元主人との共通の友達から最近双子の子供が出来たと聞きました。 今では本当に元主人に対して恨みも妬みも未練も全くなく、よかったねって思ったのですが、その気持ちと同時に主人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 元主人は離婚後私より若い奥さんをもらえば子宝に恵まれるのは当たり前の流れです。 でも私はどんどん年を取り、子供が産めない年齢になり今の主人と再婚し・・・ 頭ではわかってるのですが、どうしても心のもやもやしたものが取れません。 主人に対してごめんねって気持ちが大きいです。 もちろんこんな気持ちでいることを伝えてはいません。 自分の気持ちの持って行き方が今分からなくなっています。 主人には感謝の気持ちでいっぱいで本当に大切で、何年経っても大好きです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ