救いはどこかにありますか?(女性の立場で書いています。)
こんにちは。
こちらで女性の方の悩を拝見すると、共感できるところがたくさんあります。
(私は女性なので今回は特に女性の立場で話します。)
女性はホルモンの関係で体調、気持ち、怒りや悲しみが日々不安定です。
また、人によって違うため、誰かと比較すると余計に自分を責めることになります。
そして、ひどい時には他人を責めたりもする。
人を傷つけることは悲しいことですが、自己を改め、同じ過ちをしないように少しずつ変われたら、自然と仏様のような笑顔に近づけるんじゃないかなと勝手に思いながら生きています。
私は悩むと、どうしてかな?何が嫌だったのかな?と自分の悩みの本質を客観的に考えるように努めています。それでも完璧にできない場合もあります。
時代は女性にとって辛い環境であると思います。完璧でなくて大丈夫ですよね。
時にはその場から逃げても良いですよね。
救いはどこかにありますよね?←『お坊さま方に質問したいことはこちらです^ ^』
基本的なことかも知れませんが、仏教による救い、お聞きしたいです。
皆様の悩みを拝見し、それぞれの輝きを尊く感じ、どんな絶望でも命を絶つような悲しい結果になられませんよう、こちらに思いと勝手な考えを書かせていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
瞬間瞬間に「すきま」がある。そこに救いが。
辛いこと、苦しいことは日々ありますね。
しかし、あらゆるできごとは、瞬間瞬間の1コマ1コマの連続です。
あるお坊さんは、1人の人間の1日のうちには、8億4千の念があると言われています。
この場合の「念」とは、心の時間の最小単位です。
映画やアニメの1コマの画像にあたります。
人間の24時間の心の映画には、8億4千コマのできごとがあるのです。
しかし私達は、ある瞬間の辛いコマ(場面)と、別の時間の辛いコマをつなげて編集し、ずーっと絶え間なく辛かったように錯覚してしまうのです。
そうではなく、どんな辛いことにも瞬間と瞬間の合間に違う場面がある、休憩する隙間があると気付くと、救いになります。
例えば、忙しいときに電話が鳴ったら、電話のベル3回分の時間に休憩してください。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり、大変申し訳ございません。
休憩する隙間を感じ取れるように生きる、是非気付けるようになりたいです。
ご回答を拝見し、ますます仏教の教えを学びたくなりました。ありがとうございます。