はじまり おわり
今朝から衣替えにと断捨離作業をしていたら懐かしの母が書いた私の生い立ち日記(母子手帳)がでてきました。私が産まれてから数年ところどころ祝い事の写真と一言コメントなど。そんな事もあって、今日から✏日記を!と思い本屋へ行くとhasunoha書籍の横に[私ノート、10月始まり手帳、エンディングノート]と並んでいたのでエンディングノートを手に取り中を…簡単な事務的に伝えておきたい事柄を記入するもの、毎日の日記ふうに書き残しておくもの、遺言書と同等?!に記入するもの等々たくさんありました。エンディングノートとは自分の為の?誰かに伝える為の?とぼんやり眺めていたら側に居た年配のご夫婦がお互いに記入しておこうかしらとホノボノ話されておりました。少し驚いたのは携帯電話のID.パスワード記入欄などもあり…もし自分なら✏何を思って重要なノートを記するだろうかな今日明日と毎日クルクル変わる私事を簡単に記入したら後でやっちまったなぁ…とならないかしら とhasunohaのお坊さまにも質問したくなりました。
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おわりのはじまりもあったんですね。
もっくぅさま、はじめまして、野村と申します。
質問拝見いたしました。正解はないけれど、せっかくのご縁、回答させていただきます。
母子手帳〜エンディングノート、なんとも絶妙な流れでいらっしゃいましたね。
エンディングノートは自分がこの世を去った時、周りに自分の意思を伝えるツールだと思います。近しい人が、もっくぅさまは、ある出来事についてどうしたかったのかという思いを伝えることはできるでしょう。必ずその通りにいくとも限りませんが。
冗談半分で言えば、『亡くなったことをSNSで友達に伝えて』だとかね。日頃利用していたサイトを退会してくれだとか。これからの世代の人は残るものが多いですよね。もちろん、所有していたものを誰々に譲って欲しいとか、そういうこともあると思います。
母子手帳はきっと、幼き頃の記録や母の思いが綴られてにいろいろなことに思いを馳せるきっかけにもなったのではないでしょうか?
はじまりの記録、そして終わりのメッセージ。
どちらも決して悪いものではないでしょうね。
そこから何か気づけたらラッキー。
と、位置付けてみてはいかがでしょうか。
できることなら『やっちまったな〜。』にはならない方向へことが進みますよう、お祈り申し上げます。
この質問で
おわりのはじまりもある。ということに改めて気づかせていただきました。
ありがとうございました。合掌。
深く考えなくていいのでは
エンディングノートを書くことは、生きることへの未練や、死ぬことへの不安を和らげるためのツールなのだと思います。命の継承の一つとも言えるように感じます。自分の生きた証を残し、次に世代へとつなげることで、意に地が継承された感じがするのだと思います。永代供養なんかも死への不安を和らげるものの一つのように感じます。
母子手帳は,自分の成長を見たり、親の愛情を感じるモノなのだと思います。
良いとか悪いとかいうことはないと思いますが、そうした記録であるということだと感じます。
実際死んだ後のことはどうなるか分からないわけですし、死ぬときに不安が少しでも減るように何か残しておけばいいのでしょう。
質問者からのお礼
野村圭秀さま 邦元さま 有難うございます。
まだエンディングノートにはピンとこない日々ですが今は自分の心ノートとして手帳に呟きを書くぐらいです。もしかしたら私はhasunohaを日記のようにと質問ばかりしていたんだなぁと改めて思う1日でした。有難うございます。