回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過去を相手にしているとき
本当の苦しみとは、自分自身の本当の様子が見えなくなり、思考ばかりに偏った時に起こる現象でしょう。つまり思考にばかり気が言ってしまうので現実に目が向いていない様子です。
玄関で靴を脱いで家に上がる時、気持ちが他にいっていると、靴を揃えることを忘れます。現実、事実に気持ちがきちんと向いている、今をしっかりいきているときはくつをそろえることは簡単にできます。
苦しんでいるときは常に過去の記憶を使いそこに価値判断を加え自己中心的に都合がいいだの悪いだのやっています。そこに気がつけば苦しみから解放される道が見えてくるはずです。
あとは実際にやってみて確かめてください^ - ^
苦しみについて考えてみる
苦しみって、なんでしょうね。
本当の苦しみとお訊きのようですが、苦しみに嘘も本当も無いと私は思います。
苦しいものは何でも苦しいんです。
このサイトの質問の数々を読んでみればわかるはず、人それぞれ、色々なことで苦しんでいます。
自分から見たら、なんでそんなことで悩むの?と言いたくなるような悩みでも、その人にとってみれば本当に苦しいことなんです。
お釈迦様もまた、生きる上での苦しみについて悩み、ついには城も妻子も捨てて、苦行林に飛び込んでいきました。
つまり、仏教の始まりも「人生における苦」をどうしたらいいんだろう、というところからだったんです。
仏教では、苦悩が生じるメカニズムと、それを解体する実践法を「四聖諦」(ししょうたい)として説いています、細かく解説するには字数が足りないので、知りたければあとで検索して下さい。
そこでは、生きることが苦しいのは、思い通りにならないからだ。と説いています。
つまり苦の原因は物事の本質を知らないまま、思い通りにならないことを思い通りにしようと、そこに「執着」してしまうことから生じているだと説きます。
生きている中で、どうにもできない事ってあるよね、その代表格が老・病・死。
人は時間とともに必ず老いるのに、一生懸命若返ろうとします。
いつか必ず死ぬ存在なのに「死にたくない!」と、色々な努力をしています。
苦というものは、そういった執着心から生じるのだと、説いています。