失敗が怖くなってしまった
私は小学校からなりたかった将来の夢に向かって歩き出して、ついに、少しづつ結果を出せるようになってきて。その夢を叶えるのももう目の前って所までくることができました。
なのに、がむしゃらに必死に、死ぬ物狂いで
しがみついて努力ができないんです。
途端に怖くなってしまいました。
努力してもその程度だったら、
報われなかったら、
結果がでなかったら…
少なくともがむしゃらに努力をしないなら、何も変われないのは頭ではわかってます。
どうしても叶えたいから、生きがいっていうほど私にとっては大きなものだから、大切すぎて
頑張れなくなってしまいました。
いつも心はどこか一生懸命になれなくて、
安全パイな平均的なレベルを出しては
冷静に周りと自分との位置を確認しています。
でも本当は、他人じゃなくていつでも自分との闘いをしなくちゃいけない。
私には何が足りないんですか?
何を頑張ればいまを吹っ切ることができますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今改めて自分を振り返る時期
もっちーずさん
頑張れない状況を
どういう形かで乗り越えるのも
夢への歩みなのでしょう。
ただ
感じたところをお伝えしますと
もっちーずさんは
最初、夢に向かって歩んでいる頃は
その歩みそのものが楽しくて
成長している自分が喜びだったのではないでしょうか
そのため自然と目標に向かって
努力をしたくてしていた。
しかし
結果も出て期待もされて
具体的な競争に身を投じる中で
したくて努力していたから
やらざるを得ない
夢を叶えるためには
努力しなければならない
になってしまった。
夢への歩みが
あなた自身となってしまった
もしなれなかったら
もしだめだったら
今までそのために頑張ってきた
私はどうなってしまうのか
そのため本気で努力して
結果を突きつけられるのが
怖くなってしまったのでしょう。
全力を出していないという
逃げ道を用意することで
結論を先延ばしにしているのではないでしょうか。
“がむしゃらに必死に、死ぬ物狂いで
しがみついて努力ができないんです。“
“努力してもその程度だったら、
報われなかったら、
結果がでなかったら…“
なれなくてもいいのです。
あなたはあなたです。
ただもう一度自分に問いかけてみる
なぜ自分は夢を叶えたいのか
夢を叶えて何をしたいのかと
質問者からのお礼
本当にその通りです。
今までは好きだから一日中練習してても本当に楽しかった。けどこれからは、人に認められる結果をだしていかなきゃいけない、楽しいだけでは決してない努力が必要になります。
自分じゃない人から言われることで、今私がいる状況、今はまず何をするべきなのか、言葉にすることで、きちんと心の整理がつきました。
怖いけど、頑張ってみる事を始めてみようと思いました。背中を押してくださりありがとうございます!