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同棲中の彼氏の浮気

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はじめて質問させていただきます。
大学生です。わたしには付き合って7ヶ月になる彼氏がいます。
先月よりわたしの実家で同棲をしているのですが、先日彼氏が元恋人と浮気をしていることが発覚しました。

以前から頻繁に元恋人から連絡きていて、疑ってはいたのですが、彼氏が恋愛相談を受けているだけで何もない。と言っていたため、信用していました。

しかし、先日本人にLINEを見せてもらったところ、そこには『会いたい』といったような趣旨のメッセージが。3ヶ月も続いており、しかもLINEを送ったのも会いたいといい始めたのも彼氏からでした。

彼氏は泣きながら『もうしない。連絡先も消す。お前が一番だ。』と言っています。しかし、彼が帰省していた間わたしに電話をかけてきたのはこちらから頼んだ2回のみ。対して元恋人には頻繁にかけていました。

彼氏を信用したい。温もりを失いたくないという甘い自分と利用されているだけだから早く別れなければと思う自分に板挟みで今、とても心苦しいです。

いまかなり、つらいです。
向き合うのがこわく 『信用』すると理由づけをしてずっと見て見ぬ振りをしてきました。

彼氏と向き合うにはどうしたら良いでしょうか。
また、みなさんがよいと思われる方向、個人的見解をお教えいただけたらと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私ならば一撃で別れますが。

男性は男性の心理をしっているからこそ、よく聞いてください。
確実に別れる方がいいと思います。
この時点での浮気する人間は求めているものが愛ではなく自己愛なのです。
【泣きながら『もうしない。連絡先も消す。お前が一番だ。』】を意訳します。

「泣きながら謝るからこれからもずっと都合のいい女でいてくれ。今度はちゃんと絶対にバレない様に浮気するから。あー、俺って情けねー、何でバレるようなことをしたんだろうか(悲し―)。お前は都合の良さでは一番だ。(どうせ泣いて必死アピールしておけばこのは女トロいから許してくれるだろう。お、信じてる、信じてる。ぷぷぷチョロイもんよ、俺って名演技)。ニヤリ」
と言っています。

何故なら、彼が帰省していた間あなたに電話かけずに頻繁に浮気相手にかけていたからです。
都合のいい女にならないために今から10分以内に別れましょう。

彼氏を信用したい。
↑ 信用するな。

温もりを失いたくないという甘い自分
↑ せめてもう少しまともな男のぬくもりを求めなさい。

いまかなり、つらいです。
↑ つらいのは自分の信じていたストーリーが壊れたから。別れて即、解放です。自分の夢物語に執着しない。

彼氏と向き合うにはどうしたら良いでしょうか。
↑彼氏に向き合うという事は、こいつはアタシを裏切ってコソコソ浮気してやがったというkuso野郎だという事をちゃんとあなたが認識・理解する事。
それより自分に向き合うべきです。ちゃんと現実をみようとしていない自分に向き合う。
エセ・ラブストーリーに固執している憐れな自分。怒りをもって、ダメ男と縁を断ち切らないとどんどん不幸になります。
私があなただったら即、別れます。
私が彼氏だったら、ぷぷぷ、チョロイ女だと思います。あしからず。
人生の残された時間は幸せになるための時間です。
「好きにさせるテクニック」や口がウマいだけで誠実さもなく、貴女を今後も裏切るであろう自己愛野郎の遊び人に遊ばれて人生を棒に振るためにある訳ではありません。
それでも、あなたは彼を信じたいとかいうのであれば、あなたは救いようがありません。
浮気は一生許せない気持ちが続きます。こうしている間も彼はその女とイチャついているでしょう。
女性としての尊厳をしっかり持って、言葉に騙されないようになってください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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