hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

私の生き方は間違っていますか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 21

人を騙し、傷つけ、悲しい思いをさせた上での自分の幸せ、って
成り立つのでしょうか?

自分はそんなことはしようと思いませんが…
でも、やってしまう人間もいる。
忘れるしかないのでしょうが、どう考えていいのかわかりません。どのように考え、生活していけばいいのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「自覚」させられる生き方

「人を騙し、傷つけ、悲しい思いをさせた上で」幸せに生きているのが私たちではないでしょうか。
私たちの思う幸せとはそんなものかもしれません。

受験に受かって幸せ→落ちた100人が悲しみ泣いているかも
結婚して幸せ→相手を好きだった人が傷ついているかも

生きるということは「騙し、傷つけ、悲しい思いをさせた」上に成り立っている面もあるのでしょう。

私たちは多くのいのちを「騙し、傷つけ」生きています。私たちに食べられるために生きてきたいのちなんてないですからね。それを「食べ物」として騙して傷つけ「生き物」のいのちをいただいて生きています。

では、人間以外はそうでも、人間は傷つけていないと言えるでしょうか。そんなことはありませんよね。生きるということは迷惑をかけることです。お互いに迷惑をかけ、許し許され支えあって生きています。

ですから大事なことは、そうした事実を「どこまで自覚しているか?」ということかもしれません。
しかし、私が私の頭で考えた自覚など上っ面です。

「はい、感謝したらいいんでしょ?」
「なるべく迷惑かけなきゃいんでしょ?」
「私はそれができているから大丈夫」

そんなものでしょう。本当の自覚とは「自覚させられる」ということです。真実から私の現実を突きつけられるということです。

他の誰でもないこの自分が「人を騙し、傷つけ、悲しい思いをさせているのだ」と気づかされ、頭が下がるということ、そこに懺悔するということでしょう。

他人が何をしていて、何をできていないか、ではなく私がどう生きているのか。
その自覚に促されたとき、他を見る目は違ったものになるでしょう。「人を騙し、傷つけ、悲しい思いをさせている」事実を共に悲しみ、共に真実を求めようとするあゆみがそこに生まれるのだと思います。

生きていく中では色々な境遇の悲しみがあります。縁の中で様々なことを「不幸」として納得できず悲しむ私がいるでしょう。
しかし、仏様が悲しんでいるのは、私が本当に悲しいことを悲しめていないという事実です。
正に。「人を騙し、傷つけ、悲しい思いをさせている私」ということです。

今、あなたが生き方を問われたところには、そんな仏様の願いがはたらいているのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

煩悩スッキリコラムまとめ