自分の趣味と心の在り方について
私は今、大学で楽器をやっています。
その中で、自分の未熟さや精神と、好きな趣味とどう向き合うべきか悩んでいます。
音楽自体は前から少し経験はあったのですが、今の楽器は始めて1年半ほどで、きちんとやりだしたのは去年の12月頃でした。
自分でもその音楽のジャンルを好きになり、ひたすらそのジャンルの音楽を聴き漁ったり、練習にこまめに行く、プロの教室に通って勉強するなど、初心者なりに楽しみつつ励んでいました。
そうしていくうちに、ありがちな話ですが成長の壁にぶつかり、そこから自分がどうするべきかわからなくなりました。
自分のやっている音楽は十数人で一つの音楽を完成させるのですが、当然メンバーには様々な経歴の人もおり、昔からそのジャンルをやっている人は勿論、似たジャンルの音楽をやっていて楽器が上手な方もいます。その中には、そこまで熱心には練習せず持ち前の技量で楽しくやろう、または練習はするが他の事もしたい、ほどほどに練習しようという人も多くいます。
そういう人と一緒にやる内に、迷惑をかけたくない気持ちや、その人の技量に嫉妬し「自分の方が熱意がある筈だ、練習をして追いついてやる」という気持ちが生まれました。
その人とうまくやれない訳ではないのですが、その気持ちを抱えていく中で、思うように成長しない自分に憤り、時間を費やしつつも効率的に練習できていない自分に憤り、自分より気軽に楽しくうまく演奏している他人に嫉妬する気持ちが高まり、そうある自分に嫌気がさして無気力になってしまいます。
自分の生活の中で多くを趣味が占めているので、結果的に生活の多くに影響し、学業や生活リズムなどにも精神的な影響が出てしまいます。
自分が頑張るより他になく、他人に気持ちを向けるのは正しくなく、己と向き合い改善していくのが一番だと自分では思っているのですが、自分の心の弱さから、いまいち自分の結論を強く心に持って実践する事ができず、迷っています。
本来気持ちの充実の為にある筈の趣味が、どうしても自分の気持ちを苦しめるこの状況で、自分がどのように考えていけば良いのか、お話を伺いたいです。
贅沢な悩みだとは承知の上ですが、お考えいただけるとありがたいです。
自分自身に満足できない、他人と比べてしまう、承認欲求が強い、見栄っ張り
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
音楽を通して現れるのは、人生そのものかもしれません。
ご質問、拝読いたしました。
私も音楽が好きなので、お気持ちにはとても共感できます。
畑違いだとは思いますが、多分あらゆるジャンルの表現に共通するだろうお話をひとつ…!
僧侶は、日常生活のあらゆるシーンで、読経や太鼓・鐘などのお勤めをします。
私はそれらを、神聖な音楽の一種だと捉えることができると考えています。
色んな方のお勤めを聞いていると、技術はもちろんですが、それ以上にその方自身の人間性から滲み出る雰囲気に心が動きます。
例えば、いくら技術や資質に恵まれていても、そこに驕りがあれば、読経の端々にそれが垣間見えます。
逆に、呟くような声量でも、長年の誠実なお勤めで培われた繊細な間合いや抑揚は、とても美しく感動的です。
そして、たとえ生活の一切を犠牲にして読経の練習のみを繰り返したとしても、それだけでは、この美しさは身につかないなぁ、とも思います。
もちろん、これは読経に限らず、他のどんな表現方法にも通じます。
携わる音楽への敬意をどれだけ示せるか?
自身の心の中にある弱さを、どうやって浄化し、強みへ転換させるか?
こんなことも、大切な修行(稽古)の一部なのだなぁーという気がしてなりません。
さて…
もし、ご自身の今の葛藤に向き合い、上手く昇華することができれば、あなたの演奏には、技術だけでは表現できないような「深み」や「豊かさ」が加わるのではないでしょうか?
もちろん、そこに技術が伴えば鬼に金棒に違いありません。
しかし、観衆は、単なる技術の巧拙を超えた「音の表情」というものに、惹きつけられるのだと、思います。
一度、今の状況のしがらみから離れて、自分自身の生き方や、音楽そのものとの関わり方を、改めて振り返る機会を設けてみると良いかもしれません。
例えば、旅行をして、その音楽が生まれた地理・文化・社会的な背景を体感する。
あるいは、その音楽と同時発生した美術や文学、映画やファッションなどに触れてみる…
あなたが好きな音楽が、どれだけ大きなエネルギーや可能性を秘めているのか?
それを改めて実感するとあなたの中で、何かが変わるかもしれません。
また、今あなたが関わっているコミュニティだけがその音楽の全てじゃないということを体感するだけでも、もやもやした気持ちが、すこし晴れるのではないかと思います。
どうぞ、お励みをー!
合掌
個人目標・全体目標。
おはようございます。
音楽をされているとのこと。
音楽は演奏する人と聴く人の立場があります。
聴衆の聴き方ですが、
メンバー個人個人の音を分類して分析的に聞くよりも
全体のハーモニーとして聞く事が多くないでしょうか。
個人個人の視点もあるけれど、全体としてどう聞こえるのか。
全体としての響きが調和するために、何を補いどこを整えるのか。
個人の練習のスタンスはそれぞれだけど、全体のサウンドとして目指すのはどのレベルかは話し合ったほうが個人の価値観のズレに振り回されなくて済みます。
音楽の評価は体操団体のように個人の得点の積み重ねじゃないですよね。
全体としてどう響くか。
プレイヤーの優劣視点でなく、響きのズレをどう整えようかと思う視点だと、音楽のまとまりのためにメンバーがひとつの方向を向く事ができるのではないでしょうか。
個人目標より全体目標に焦点を合わせてはいかがですか。
私も昔、ブラスバンドの大会やアンサンブルコンテストのための練習をしていました。
あのときに、気づいていれば人生変わっていたかもしれませんが、、、
40代になって気づいた視点です。
よければ参考にしてください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今後自分が音楽と向き合う上で、大事なものが何か、今一度再確認できました。
趣味とともに、心も精進して行きます。