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自分の趣味と心の在り方について

びっぐカバ男性/20代
回答数回答 2
有り難し有り難し 13

私は今、大学で楽器をやっています。
その中で、自分の未熟さや精神と、好きな趣味とどう向き合うべきか悩んでいます。

音楽自体は前から少し経験はあったのですが、今の楽器は始めて1年半ほどで、きちんとやりだしたのは去年の12月頃でした。
自分でもその音楽のジャンルを好きになり、ひたすらそのジャンルの音楽を聴き漁ったり、練習にこまめに行く、プロの教室に通って勉強するなど、初心者なりに楽しみつつ励んでいました。
そうしていくうちに、ありがちな話ですが成長の壁にぶつかり、そこから自分がどうするべきかわからなくなりました。

自分のやっている音楽は十数人で一つの音楽を完成させるのですが、当然メンバーには様々な経歴の人もおり、昔からそのジャンルをやっている人は勿論、似たジャンルの音楽をやっていて楽器が上手な方もいます。その中には、そこまで熱心には練習せず持ち前の技量で楽しくやろう、または練習はするが他の事もしたい、ほどほどに練習しようという人も多くいます。
そういう人と一緒にやる内に、迷惑をかけたくない気持ちや、その人の技量に嫉妬し「自分の方が熱意がある筈だ、練習をして追いついてやる」という気持ちが生まれました。

その人とうまくやれない訳ではないのですが、その気持ちを抱えていく中で、思うように成長しない自分に憤り、時間を費やしつつも効率的に練習できていない自分に憤り、自分より気軽に楽しくうまく演奏している他人に嫉妬する気持ちが高まり、そうある自分に嫌気がさして無気力になってしまいます。
自分の生活の中で多くを趣味が占めているので、結果的に生活の多くに影響し、学業や生活リズムなどにも精神的な影響が出てしまいます。

自分が頑張るより他になく、他人に気持ちを向けるのは正しくなく、己と向き合い改善していくのが一番だと自分では思っているのですが、自分の心の弱さから、いまいち自分の結論を強く心に持って実践する事ができず、迷っています。

本来気持ちの充実の為にある筈の趣味が、どうしても自分の気持ちを苦しめるこの状況で、自分がどのように考えていけば良いのか、お話を伺いたいです。
贅沢な悩みだとは承知の上ですが、お考えいただけるとありがたいです。

びっぐカバ男性/20代
質問数:
3
私の煩悩:

自分自身に満足できない、他人と比べてしまう、承認欲求が強い、見栄っ張り

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『お詫び』

投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。

代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。

『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。

大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。

道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。

その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかびっぐカバの出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。

願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道

合掌

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有り難し
おきもち

個人目標・全体目標。

おはようございます。
音楽をされているとのこと。

音楽は演奏する人と聴く人の立場があります。

聴衆の聴き方ですが、
メンバー個人個人の音を分類して分析的に聞くよりも
全体のハーモニーとして聞く事が多くないでしょうか。

個人個人の視点もあるけれど、全体としてどう聞こえるのか。
全体としての響きが調和するために、何を補いどこを整えるのか。
個人の練習のスタンスはそれぞれだけど、全体のサウンドとして目指すのはどのレベルかは話し合ったほうが個人の価値観のズレに振り回されなくて済みます。

音楽の評価は体操団体のように個人の得点の積み重ねじゃないですよね。
全体としてどう響くか。
プレイヤーの優劣視点でなく、響きのズレをどう整えようかと思う視点だと、音楽のまとまりのためにメンバーがひとつの方向を向く事ができるのではないでしょうか。
個人目標より全体目標に焦点を合わせてはいかがですか。

私も昔、ブラスバンドの大会やアンサンブルコンテストのための練習をしていました。
あのときに、気づいていれば人生変わっていたかもしれませんが、、、
40代になって気づいた視点です。
よければ参考にしてください。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
いちおう、公認心理師・社会福祉士資格はあるので守秘義務もってます。 でも、心理や福祉でなくお坊さん枠での相談です。 人間だもの。 煩悩自慢聞かせてもらうところからのスタートだと思っています。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
今後自分が音楽と向き合う上で、大事なものが何か、今一度再確認できました。
趣味とともに、心も精進して行きます。

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