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罪の償いについて

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有り難し有り難し 22

数年前、私は会社で中堅となり仕事をしていました。
今思えば、休みもほとんどないことからストレスがかかっていたのだと思います。
そして、ストレスの捌け口となってしまったのが当時飼っていた猫でした。

その猫は、1歳くらいの元野良猫で、甘えん坊で人間大好きな子でした。いつも膝の上に乗ってきたり、一緒の布団で寝てくれる子でしたが、当時の私は、その子を虐待してしまったのです。
一人暮らしでしたので、私を止める人は誰もいませんでした。

しかし、その子はどんなに虐待されても膝乗りや一緒に寝ることをやめようとしませんでした。今思うと、愛情で私を止めようとしたのかもしれません。

ですが、私は虐待を止められず、挙げ句殺してしまいました。
その後にも、同じく拾った猫を殺してしまいました。

しばらくして、また猫を拾いました。メスでした。
自分でもよくわかりませんが、また虐待をしようとしたのだと思います。
しかし、拾った後に、その猫が出産をしました。
捨てようと思ったのですが、その猫が健気に子育てをする姿を見て、命の大切さを知りました。命に対する畏敬と言った方が近いかもしれません。
そして、それと同時に激しい後悔が生まれました。

今までの子の、信じていた私に殴られて、どんな気持ちだったろう、どんなに怖かったろう、どんなに悲しかったろうという気持ちを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

罪滅ぼしのために、動物ボランティア団体に寄付もしました。車に轢かれた猫の遺体も土に埋めて供養しました。
今いる猫、上の拾ったメス猫ですが、絶対に幸せにしたいと思い最上級の餌や環境、愛情を与えているつもりです。当然、私を救ってくれた子ですし、一度も叱ったり、手を上げてはいません。

しかし、年月が経っても、どんなことをしても一向に気持ちが少しも軽くならないのです。
謝罪したり罪滅ぼしをする相手がこの世にいないので当然です。

私はこれから何をすれば罪を少しだけでも償えるのでしょうか?
どのように自分に罰を与えればよいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一生抱えて生きてゆく覚悟を

どんなに反省しようと、後悔しようと罪は罪。
死ぬまで悔やみ続けるしかありません。
すでにそれが罰といえるでしょう。
自分が奪った命を想い、謙虚な気持ちで手を合わせましょう。

「人がもし悪事をなしたなら
それをくり返してはならない
それを楽しんではならない
悪事が積み重なることは
苦しみである」
(法句経)

時間とともに、人の心は変化します。
いつか、自分が許せる時が来るかもしれません。
そんな日がいつか来るよう、私も手を合わせて祈らせていただきます   合掌。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
今でも、頻繁にその子たちの顔を思いだしては、罪悪感でいっぱいになります。
罪を重ねないよう、他者に優しく接するとともに、一生をかけて罪を償っていきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ