この問答を娑婆にも伝える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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書き直した?
あれれ、相談文を書き換えましたか?確か救急車の話を書いていたような?それを読んで、あぁ今までの経験から、物語を読み取ることができる、見たことから素直にか読み取れるなぁと思ったものですが、幻だったかな?
ものを見たときに、その由来とか人間の願いとか仕組みとか、「それが正にそうである事」を読み取れるということは、ちょっとだけ「お悟り」に近づいた様に感じます。いずれの事についても、「ああ、そうなんだよね」と腹落ちする、納得できるというのは、私の捉える「お悟り」なものですから。
聞いた話では、お悟りというのにも大小があって、何か確かなものを掴んだと思っても、時が経てば薄れていってしまう。けれど、自分はそういう回路というかアンテナが育っていくから、他のものを見ても気付きやすくなる、理解しやすくなる、腹落ちしやすくなる、その行ったり来たり・一喜一憂を繰り返して、だんだん大きな悟りに至る。そんな風に聞いております。
ところで、昨晩から貴女は、幾つの「有り難し」な話を目にしましたか?やってみた?
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有り難し
病院に先ずは電話してみましょう
質問者からのお礼
佐藤様
書き換えました。
同じカテゴリーの行けないpartⅡをお時間がございましたら読んで頂けませんでしょうか?
よろしくお願い致します。
聖章様
遅くなり申し訳ございません。
ネットで調べて頂いて有り難うございます。すごくすごく感謝しております。
生きているからこそ、人のあたたかみを実感できるのですね。有り難いです。
佐藤様
何度も申し訳ございません。
仏教→お坊さんのカテゴリーの中の「いつやるの」もお時間がございましたら読んで頂けませんか?
よろしくお願い致します。