hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

異性と長く付き合えません。

回答数回答 3
有り難し有り難し 8

こんにちは。
私の悩みを聞いてくださいm(__)m

私は、昔から男性と長く付き合うことができません。長くて1年程度で別れてしまいます。
はじめは楽しく付き合っているんですが、そのうち色々考え過ぎて相手を大切に思えなくなってしまいます。そして、別れてを繰り返してきました。
友人達は『本当に好きな人に出会ってないからだよ。』と、励ましてくれています。

今では、男性と付き合っても長続きしないのがわかっているので彼氏をつくることに抵抗があります。

人を好きになり、愛し続けるという事…私にわかる日がくるでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恋の延長は刺激の少ないもの

お付き合いし始めの時のドキドキは、ずっとは続きません。まず、そのドキドキを求めない事。当たり前でゆったりとした刺激の少ない関係になることも、愛の延長として存在します。
どのような理由で別れてしまうのかはわかりませんが、刺激の少ない関係になってからも大切に思える(恋とは違う)関係になれば長続きするのではないでしょうか。
もしかするとまだそういった方に出会ってないのかもしれませんね。
長続きさせようとせず、相手を大切にしていく中で、自然と一緒に過ごす時間が長くなってくるのでしょう。
ただし、浮気や暴力のようなことをする方であれば、長くお付き合いすることは避けたいですね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分の中の相手なのか、本物の相手なのか。

人間というふものは、現実の相手を相手にしているつもりであっても、自分の中の相手に対するイメージを相手にしているといふことがしばしばあるものなのです。

リアルタイムではなく、頭の中での理想の世界に、安住していつことってありませんか?
私はよくやっていましたが₍恥₎
頭の中で相手のと理想的な関係を求めて、現実が「そう」でない時、それはそれはグレーなものになります。ちゃんと現実をみていない夢想状態なのですね。
ちゃんと相手と出会う、ちゃんと現実の自分を表す。

実際に彼と出会っている時の現実の現場で、等身大の関係を築き上げることはとても大切です。恋愛に限らず、人生ぶっちゃけそれが大事ですから。
男女の大半は、恋愛・結婚しても、楽しい語らいはするものの、深いコミュニケーションをまともにとらない、とってこなかった、とっていたつもりがそうではなかった、というケースが多いものです。
それが災いしてコリン星※に旅立ってしまうケースもあります。※…離婚
お互いに、深く相手の人間性を知りあうとしない、と伴侶とは言えません。
それができてこそ、リア充ならぬ、リア住なのです。
お互いを深く理解し合っていないと、結婚生活に入って、恋という夢から覚めて、現実の相手の言動に対して、勝手に意味を添えてお互い勝手に傷ついたりするということが良く起こるものです。
男女の間において、一番大切なのは仏教でいう所の菩提心、正見です。
菩提心…深い意味では悟りを求めることですが、これは、お互い心の向上を求めることであります。
正見…自分の思いを交えずに、リアルの相手をその通りに受け止めることです。
およそ男女のケンカは、必ずと言っていいほど相手に責任を求めます。
それをお互いが、自分に向ける事。
相手に嫌な思いを受けた、のではなく、自分が嫌な思いとして受け止めてしまった。
あいてに腹が立った、のではなく、相手に対して求めが強すぎたために、自分で腹が立ってしまった、などと、原因を相手ではなく、自分の心に向けることです。

相手にばかり求めず、あなた自身を出してみることも大事です。
表面的な事ばかり話す女性が多いですが、自分の内側を語れる女性は、少ないものです。
相手と信頼できる関係になるためには、自分の内面を吐露して、それを受け止めて頂けるかどうかが大切です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

削除

2回同じものをアップしてしまいました。削除しました。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございましたm(__)m
とてもありがたいお話し、感謝いたします。

相手に求めすぎる考えを改めたいと思いました。自分の史観を相手におしつけ、自ら関係を崩壊させてきたからです。
相手を思う気持ち…自分を出す事…深い関係が築けるように努力していきたいと思います。

煩悩スッキリコラムまとめ