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信じると言うこと

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

人は何故、信じたいと思うのですか?
また、何故信じられたいと思うのですか?

私は他人を信じる事が出来ません。
と言うか、信じる必要性が分かりません。

別に信じてなくても他人を頼る事は出来ますし、仲良くする事も可能だと思います。

私はこれまでの経験上、信じられるのは自分だけだと思っています。

正直この質問の回答も、あんまり当てにはしていません。

ただ、ググっても出てこなかったので、質問してみようと思いました。

みんな、他人を信じられないから、信じれる様になりたい、とか、他人から信頼される人になるには、みたいな質問ばっかりしています。

それが不思議でなりません。

他人を信じると言う事は必要なんですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

個人レベル、社会レベルの信じるがある

ご質問読まさせて頂きました。安藤亮英と言います。

うめこさんの
『人は何故、信じたいと思うのですか? また、何故信じられたいと思うのですか?』ですが、

まず、これですが答えは欲ですね。

信じることによって、欲を満たしたいのですね。信じられたいは承認欲でしょうか。

認められたいし、認めたいと思う心。

注意すべきは過度に信じることです。
過度な期待をすると、それが叶わなかったとき必ず苦しみを生むからです。

仏教は苦しみを滅するための教えです。
信じるが➡過度な欲になると苦しみになるので危険なんです。その辺を注意しないといけません。何でも行き過ぎ、やり過ぎは良くないのです。

仏教では「自分で見たもの、自分で確認したもの以外は信じるな」とあります。

ですので、個人レベルでは、
自分が納得したもの以外は信じない、保留やニュートラルなスタンスでいいのです。無理に信じる必要はありません。

社会レベルだと、人間社会では普通に無意識に信頼をしてますよね。

例えば、誰かに頼みごとをするとき、その人がやってくれるかどうかは大事なことです。適当な人でどうみてもやってくれない人だったらその人に頼みごとはしないでしょ?

お店なんかは信頼がなければ、成り立たないですよ。品物がちゃんとしたものかどうか?賞味期限は大丈夫か?不良品ではないか?

銀行なんかも、お金を預けるわけですからね。信頼がなければ、お金なんか預けられません。

あと仕事をすればわかりますが、他人を信じないと、仕事は出来ません。人間社会に生きるのなら信頼はレベルの差はありますが、必ず必要ですね。

などなど考えればキリがないくらい、信頼がないとやっていけませんね。

あまり上手くまとめることが出来ませんでした。申し訳ありません。

※個人レベル、社会レベルは私の造語です。レベルA、Bでもレベル甲、乙でもなんでも良いです。

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こんばんは。遅くにごめんなさい!
私の回答も、あてにしなくて宜しいですからね、どうぞ軽くお流し下さい(^^;)

人はなぜ、信じたいのか、信じられたいのか...

人は、寂しいんですよ。
人って弱いんです。
1人じゃ生きていけなくなっちゃうんですよ。
だから、愛が欲しいんです。
心を満たして欲しいんです。

今うめこさんは満たされていますか?

確かに誰も信用しなくても、誰に頼らなくても、生きていけますよこの体は!

でも、心は生きていけますか?
心もそれでいいと言ってますか?

信じられるのは自分だけ。
まさにその通りですよね。自分は裏切りませんからね。自分の思い通りにならない人間関係の中で、人を信じても期待通りになるわけでもないし、自分も期待されたくないし。

でもね、1人ぼっちになりたくないんですよ人って。
誰かに受け止めてほしいんです自分のすべてを。心も体も含め、弱いところもダメなところも含め「あなたのままでいいんだよ」って、認めてほしいんですよね。
それが愛なんです。
本当の愛は、見返りを求めない無償の愛です。
その愛が、人を信じるという事にも繋がっていくのかな、と思います。
その信じる事自体が必要なのか?
今はうめこさんの思うがままに一生懸命進んで下さい。うめこさんを全く否定はしませんよ!
これから先、いろんな事がありますから。
考えさせられる事もいっぱいありますから。
その中で、心の本心とじっくり話をしてみて下さい。

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有り難し
おきもち

岩手県内陸郊外の曹洞宗鷲連寺にて副住職を務めております。 世の中にはいろ...
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特に必要ないでしょ。

人を信じるってことは、結局人に期待するということです。
依存的に生きたい証ですね。

いつも回答で書いてるんですが、他者には他者の思惑があるので、期待通りにいかなくて当たり前でしょう。
なのに、期待通りの結果が得られないとき、信用してたのにってなります。
裏切られたという気持ちになります。

だから、うめこさんの思われておられる通り、「人を信用する」という言葉は、幻惑であり、この世に存在しないものと考えていいでしょう。

特に仕事など利害関係が絡んでくると余計に思いますよ。
人間だから失敗するのは当たり前だけど、最初だけ歯の浮くような言葉を言っておきながら、お金を払ってしまえばそれでおしまいな業者。

後から不備が出ても、言い訳に終始し、アフターフォロー一切なし。

これも自分が信用して依頼した業者なので、自分の責任なんですが、、、
「信じた」という甘えの産物なのでしょう。悲しくなります。

自律的に生きていけば、人に期待した生き方をする必要はありません。
うめこさんが、書かれておられる、他者を「頼る」「仲良くする」もお互い自律した関係であれば、信用とかなくても充分に成立しますので。

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時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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