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人の事をどこまで信用してよいのか?

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人の事をどこまで信用したら良いのでしょうか?

今の時代に限った事ではありませんが、有名人や自分の身近な人間で、表面上は偉そうに饒舌に人生や仕事の事を語っていても実際の行動はだらしなく人に対して偉そうに語れるどころではない人がとても多いと感じています。
今現在の自分の気持ちで言えば誰もまともに信用できません。

2025年1月16日 22:12

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信用とは期待することと似ています。

拝読させていただきました。

「信用」とても深く、とても意味の無いものでもあります。
信用は取り方によれば期待することにリンクすることですので、期待する思いから「信頼」「裏切り」と新たな思い巡らせていく展開が生じます。

仏教の立場から答えを申し上げますと期待しないことです。

釈迦は80歳で入滅(涅槃)されました。しかし、釈迦がおられなくなったら弟子たちは「これからどうすれば良いのだろう?」と、頼りとしていた信用・信頼の釈迦がおられなくなると困惑と不安で満たされました。
弟子たちは、釈迦が亡くなる前に質問をされたのです。「釈迦が亡くなられた後、弟子たちはどうればよいのか?」と。

釈迦はこのように答えました。
「わたしの教えたことを信じて生きていきなさい。そして、その自分を頼りとして自分を信じて生きていきなさい。」
と答えました。
これを仏教では「自灯明・法灯明」
(じとうみょう・ほうとうみょう)
といいます。

「法」とは仏教では「真理」というどの時代においても不変の真実のことです。
変遷がどの時代において変化に対応していても人は真実であったり、本来の生き方とは?と生きていく上には欲と煩悩によって見失うときがあります。
釈迦はその「真理」を説いたのです。

わたしたちは、無論のこと信用と信頼をしていきたいと、心のどこかで思っていますが、頼りにすると期待に変化してしまうので、わたし自身は自分で出来るところまで自分で行うという理念を保持しながら日々を生きています。

「こうしてあげたから」「いつも私ばかり損をしている」などなども、どこかで期待という信用や信頼を念頭に持つことで、損得を基準にして生きる人びとが増えている現代社会でもあります。

信用はお金では絶対に買えないものです。思いやりで獲得していけるものです。

だから、信用しなくてもいいのです。自分らしく自分を信じれる自分を作り上げれば信用ということから離れていくことができます。

合掌

2025年1月16日 23:51
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

質問者からのお礼

ありがとうございました。

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