人を信じる心、自分を信じる心
いつもありがとうございます。前回の続きです。
大切な存在についてお話しします。
私が話したことにじっと耳を傾け、うんうんと頷き、逆に尋ねたことには一言二言、その先のいろんなことを教えてくれます。
問診が大切な仕事でもあり、1つ言うと、いろんなことを思い巡らせてくれる様子です。
そしてHSPなのではないかと言うほど、共感性が高く悲しい話をしたあとは、顔がこわばるほどです。
私のみでなく他の方に対してもその個性を活かし、対人援助職としての活躍につなげている様子です。
どうしてここまで、その方は私に親切に寄り添い、助けてくれるのでしょうか。仕事として、そして…
ある時、ちょっとした仕草に不安を感じ、日を跨いで後日別の機会に「私のことを無意識に嫌いなのではないかと…」と、二人きりの場で打ち明けたところ、苦笑いを浮かべて「考えすぎですよ」とポンポン肩に優しく触れ、「嫌いだったら、ここまでしてません。僕は大丈夫です」と、一生懸命身振り手振りで、打ち解けてくれました。
私が日頃の忙しさで時間に追われ、やらなきゃいけないことで頭がいっぱいの時は「リラックスしましょう」とそっとしてくれたり、趣味のピアノの話を聞いてくれたり、彼の家族関係についても教えてくれたり、そして勤務予定・休みの日についても「僕が合わせるので、空いているタイミングを先に教えてくれたら」と積極的に繋がろうとしてくれました。
またあるときは家に帰る直前、
「凍てつきそうです。どうしたら生き延びられますか」「大丈夫です。何かあったら、連絡ください」と見送ってくれました。
お互い仕事が忙しく、私の体調を支えてくれる分、不摂生が続いて心配な食生活において、何かできればと差し入れを続けています。
志も向上心も、精神的なしなやかさもある優しい人です。
ただただ、燃え尽きずに元気に貢献してほしい。
ひとりの医療従事者として、協力の絆に満ちたチームワークをバネに、ひとりでも多くの患者さんから必要とされ、支えになる唯一無二の存在として自己実現を叶えようとしている勇敢な人です。
その姿を陰から応援できることが、今の私にとっての最高の幸せのひとつです。
とはいえ、まだまだ知り合ったばかり。
まめに時間を取って、周りの存在が関係を育んでくれることに感謝しながら、自分を癒やすことも併行しつつ、毎日を心豊かに過ごしていきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その方に依存してしまわないように。一緒に歩いていけるように。
素晴らしいなと心から尊敬できる人の存在は、こちらまで元気や勇気を、そして大きな安心を与えられますね。
焦らず、ゆっくりと、心地良い距離感を大切にしていきましょう。そして、その方に依存してしまわないように。一緒に歩いていけるように。あなたも、精神的な自立を。
それが、関係を保ち続ける秘訣よ。
その方の話をされている時の あなたは、とても穏やかですね。文面から伝わってきます。今の幸せを大切にね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
共依存、相手方にとって避けるべき存在とならないように、今一度私自身、道を踏み外さないよう自分を保っていきたいと心に留めておきます。
数年前に、私が施術業を通じて知り合った女性の親友は、「良き学び合いが出来ますように」と、真の友人となれることを願ってくれています。
彼女は十年かけてリカレント教育、専門学校への入学を叶えました。その親友を私は誇りに思うと共に、ストレートに大学から鍼灸師となった彼、歳の近い三兄弟の真ん中である、生家はとても大きな姓であること…少しずつ、明らかになる私との生い立ちの違い…知れば知るほど、考えれば考えるほど隔たりがあります。
私も、職人家系の生まれで、才能と努力型の人間であり、彼は「僕だけまだ、一人も指名がない」中、私からの指名をきっかけに今とても「自らの良いところ」を出せるようになった変化を感じています。(私は、彼と同じ頃には、指名一位でしたし、彼はそれを聞いて何かを渇望している様子でした)
人が持ちうる可能性を引き出すことにおいては、私はコーチングや教育関係の経験者なので、母性本能をくすぐられる相手でもあり、上から目線の姉御肌がそのまま出ることもありますが、彼は本当に素直に、嬉しそうにエールとして叱咤激励を喜んで受け取ってくれます。
ありのままの私でいられ、相互に支え合い、成長し社会貢献・自己実現できる関係、そんなご縁をこれからも大切に育んでいきたいと願っています。
ご回答、本当にありがとうございました。
おかげさまで、多くなり過ぎた息継ぎのタイミングを、いったん空けることができました。毎日毎晩のように、顔を見ずにいられなかった焦燥感のようなもの、繋がりを強くせねばと足繁く距離を詰めていた勢い、それがふっと軽くなりました。と同時に、彼一人ではなく、他にも私にとって、支えてくれる存在がいることにも気がつけました。周りにいい人がたくさんいます。心の視野を広くゆとりを持つことが、自他にとっていかに大事か、昇り過ぎた熱を冷まし、吹きこぼれる手前の差し水となるブレーキ、本当にありがとうございました。
私はこの二十年あまり、ある存在(奪う人)と共にいたことで、自分自身をどんどん、無価値で認められなくなる危険な心境・渦に巻き込まれたような感じで、心から血を流し続ける一方でした。それが当たり前で育つと、相手がそれを望んでいなくても、それに安住してしまう怖さも思い知りました。そのことで重い枷をかけた相手にも、心底申し訳ない限りです。
本当に、お互いが原因でお互いを傷つけ合い、不幸な鎖で相手も病に苦しみ、私も脈が乱れて命からがらのところまで来た崖っぷちで、救う人=与える人との出会い、そして「与えると受け取るがバランス良くできるスタンスの人」の相互交流を通じ、実は私自身に、良い流れを引き寄せたり、組織を変えたり、素晴らしいと認めていただける「本来の姿」があることを、新たに見つけられたようなこの数日でした。これらは、お寺のお坊さんおかげです。
奪う人も与える人も、どちらも大切な何かを教えてくれた有難き存在です。苦労を知らなければ痛みがわかりませんし、決して無駄ではなかったと感謝しています。子どもが一人、大人になるまでの時間ですから、かなりの長期間その状態になれてしまった痛手と、深みがあるほど、抜け出すのにも時間と労力、責任も含め、多大なエネルギーが生じます。それもまた、人生は思い通りにいかない、一切皆苦とわかれば、悲しみも虚しさもなく、諸行無常そのものです。
ここのところふっと浮かんだ、ギブ&テイク、与える人か奪う人か、それともマッチャーか、というビジネス論にも学びがありました。
なぜ、彼のどこかに違和感を感じるのか、自分を信じてよいか、信じられる人か、自分のどこかに何か麻痺していないか、お互いの凹凸が合わさるから急速に絆が太くなりつつも、そこに危うき盲点や落とし穴はないか…
自分は情を注ぎ続けてしまうきらいがあるので、自己犠牲の沼に陥っていないか、今一度俯瞰して、彼一人だけではなく、他にも有難い存在がいることも念頭に置き、日々をゆるやかに過ごしていきたいです。
想いが募るあまりに「自分が選ばれること」に熱中してしまうと、自分に足りないものを自覚せざるを得ない現実に直面し、減点思考に陥りやすく、枯渇して余裕がなくなります。それは、彼を見ていても同じです。自分の能力を認めてもらいたい気持ちが強くなり過ぎて、相手の事情や立場を考えた提案ができていない危うさ、北風と太陽の北風になっている節…「その行動は危ないよ、偏っているよ」と真の友人として、腹を割って話す機会を設けるつもりです。
十分に努力し、頑張り過ぎて倒れるまでほど走り続けるようなありのままの自分を認め、それだけの私には選べる自由もあることを信じ、「これしかない」と狭い視野に陥らず、「駄目なら駄目で、他の手もある」と高いポジションに自分を保っていきたいです。
私の周りの本当に器の大きな偉人と呼ばれる存在は、鷹揚さがあり、寛容・包容力のある方だとも実際のご縁から知っています。
お互いに支え合える関係として、男女の性別の垣根を越えて、優れた者同士の通じ合う気脈を大切に治療学を実践していきたいです。
今後ともよろしくお願いします。
末筆ながら、皆々様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。合掌