周りが幸せになってくるのに自分は
自分って何なのかなって思います。もうネガティブにしか考えられません。男なのに最近ずっと涙が止まりません。仕事がうまくいかない。資格に向けて勉強しても身についていない。彼女の作り方も分からなくなった。友達の作り方さえわからない。結婚や彼氏彼女がいる人を祝福してあげたいのに嫉妬や妬みしか湧かない。金も無ければ、未だに実家暮らしという後ろめたさ。人生楽しくないです。もう辛さしかない。
聞いても仕方ないんだろうけど、どうしたらいいんでしょう?
他人が幸せにしているといいなぁと嫉妬する 他人が仕事で頑張っている事を聞くとこのままでいいのかとおもってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
娑婆トータルは、きっと楽しくないだろう
こんばんは。先日の本とか、セミナーとか調べてみましたか?
さて、今日も抽象的なお話ですね。大好きです。
「自分って何なのかな」…この問いに、答えはありません。「自分は自分」しか言いようがない。ではなぜ人は「自分って何なのかな?」という問いを起こすのでしょうか。これ、心理学と哲学の良い問題です。
「彼女や友達の作り方」…ある程度、法則というか「よくあるやり方」はアルでしょう。しかし、実際にそれらが作用するかは未定です。紹介されても最終的にはタイミングとか相手次第ですから、「本を読む」よりずっと高度な話ですよ?
「嫉妬やねたみしかない」…はい、比較の結果ですね。前回の問いで「比べてもしょうがない」と「お礼」に書いていたのをお忘れ…ではないと思います。心の嘆き、止めどない流れなのでしょうね。であれば、下呂のように吐き出してしまえば良い。ずっと口の中に溜めていては気持ち悪いでしょう?吐き出して、水で流してしまいましょうね。
「人生楽しくない」…はい、娑婆はトータルでいえば「楽しくない世界」だと思います。それはもう、ずーっと昔からそうです。「それに気づいて良かったね」です。
だからね。
みっともない、とかなりふり構っていられないのよ。私も坊さんの資格頂いてウン十年だけど、いまだ何かしら勉強してる(ここhasunohaでの回答もね)。本も読んでいる。一度読んで「ああ、良かった」というのは一行位しか見つけられなくなった。けれどまた読む。家族で喧嘩もする。子どもの事も不安で心配だ。年老いた両親も心配だ。住職が目を瞑った後も心配だ。だけど、やれることはやる。探してやる。今日目覚めたのなら、何かする。
「楽しいか」は、まだ分からない。父の受け売りだけれど、お釈迦様は「ああ、木の下は涼しくて楽しいなぁ」と言ったそうだよ。「木の下にいるだけで、幸せを感じる」。それが2000年以上も経って、まだ伝わっている。多くの人に共感されたからでしょう?
このところ、寒いでしょう?家に帰ってストーブにあたり、「あぁ、あったかいな」と口に出して言ってご覧。その時あなたは、幸せなはずですよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
他人と比較せず、前を向いて歩いて行こうと思ってはいますが、未だにどこか他人と比較をしてしまう事に自分の未熟さを感じてしまいます。
正直大人になってからの人生は幸せだった事も多少はあれど辛いことの方が多く、これが50年、60年と続いていくと息が詰まる思いです。
ですので、悩む前に勉強しようと思います。たまには吐き出させて頂けれたらと思います。