皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

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考えすぎ・被害妄想をやめたいのですが

わたしには、ものごとを深読みして考えすぎてしまう癖があります。言ってしまえば被害妄想癖です。

「どうせ〇〇なんでしょう」とか、「もし△△だったらどうしよう」だとか、ついついネガティブな方向にばかり、勝手に決めつけて考えてしまうのです。

「気にしない」精神でポジティブに生きたいのですが、なかなか楽観的に捉えることができません。何をすればネガティブな思考をやめられるでしょうか…。できる限り具体的であると嬉しく思います。

心構え・生きる智慧
有り難し 12
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫ですよ

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃることわかりますね。不安が不安を呼びより悪い方に悪い方に考えてしまうことはあります。あなたのお気持ちお察し申し上げます。
私のサラリーマン時代のあだ名はシンパイショウつまり心配性です。仕事中いつもいつもマイナス思考でああなったらどうしよう、とリスクばかりの思考回路にさいなまれていました。
安心できるまであの手この手を考えて、周りを振り回していました。
それでも心配は抜けませんでしたね。
ではその心配や不安の根源はなんでしょうか。

なかなかその答えは見つけることはできませんでした。いろいろ考えていき又仕事に追われていきますます追い込まれていきつく先は自分や未来や人生への不安となります。そして精神的にもいつも不安定になり、負のスパイラルへとおちていきました。
あくまで私の経験ですから皆様がそうだとは言えません。ただ不安はやはり増大していく傾向にあります。

最終的には自分の生命が対象になってきます。

あくまで私の答えですから皆様に当てはまるかはわかりませんが、不安の原因はつまり何も自分はわからないということです。仏教的に言いますと無明ということです。

私達は本当のことや正しいことや真理を知らないからこそああだこうだと常に不安にさいなまれるのです。

ただその中で自分はなんにも知らない存在であるということを理解することはできるのです。

人間だもの知らなくて当たり前です。私達はお釈迦様ではありませんからね。

そう開きなおることで私はある意味不安や心配性やマイナス思考から抜け出し、精神科の治療から一応出て区切りをつけました。ただ今でも不安はあります。当然ですが、その様な自分と付き合って生きていくということが大切かと思います。

人生ですから山あり谷ありです。一寸先は闇です。でもそれでも人生です。

あなたにもできるだけ割り切り人生をおおらかにとらえながら生きて頂きたいと切に願います。

あなたのこれからの未来がたくさんの人々や出来事との出会いに恵まれてとても素敵な豊かな毎日であります様にと心よりお祈り申し上げます。


質問者からの有り難し - お礼

kousyo Kuuyo Azuma様
回答ありがとうございます。
たしかに、無知だからこそ不安になってしまうのですね…。これからは、無知なんだからと割り切りつつ生きてみようと思います。

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