人生に耐えること
死にたい、と思ってしまいます。
生まれてしまったからには、生きるより仕方ないとはわかっていますが…
人生、生きていたら楽しいこともあるとは思います。
でも、生きていたら必ず悲しい出来事がありますよね。それに、日々怒ったり、誰かに嫉妬したり、恨んでしまったり、迷惑をかけたりするわけで。
どんなに楽しく生きたいと願っても、自分の意思に関係なく不幸は訪れます。
どんなに穏やかに、正しくあろうと心がけても、醜い自分はつきまといます。
なんでそんな辛いことを一生繰り返しながら生きなければならないのだろうと思ってしまいます。
早く死んで、解放されたい…
生まれてしまったことを、なにかの罰と思い耐えるしかないのでしょうか。
それとも、もっと楽に生きられる考えがあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生まれた事には意味がある。
拝読させて頂きました。
まきさんのような気持ちは、多くの方が思ってらっしゃるでしょうね。生きるって苦しいですよね。
そもそも、我々がこの世に生まれてきたのは、そういった「思い通りにならないこと」を経験しに来たのではないでしょうか?
仮に、すべて自分が思い通りにいったら、楽しいでしょうかね?みんながみんなそれぞれ考える思い通りにいったらこの世はどうなりますかね?
この世は、こうしたい、こう有りたいと思ってもすんなりその通りになるわけでは有りませんよね?対人関係もそうです。嫌な思いをしたり、させられたり。生きてるのが嫌になる事も多々あるでしょう。
しかし、そこにこそ、いろんな事を考えさせられたり感じたりしながら、自分の価値観や捉え方を変えていくチャンスがあるのではないでしょうか。
忘れてはならないのは、この世に意味があって生まれてきていて、様々な事を学ぶ為に来てるという事です。何も起こらず楽しい事だけの中に居たいなら、生まれてきてないはずです。
まきさんなりの、学ぶべき事、経験すべき事があるから今、こうして生きてるわけです。
どうか、悲観的に物事を捉えるのではなく、起こる事が自分に必要だから起こっていて、そこから考え学んでいかなければならない事があるはず!という気持ちを持っては頂けないでしょうか。いずれ誰でも、今回の学びの時間が終わればあの世に帰ります。この世は期間限定です。みんな帰らなければならないのです。その日まで、「思い通りにならない事」こそがこの世の醍醐味だと思って頂いて、嫌な事があって当然、悩み事があって当然、楽しい事もたまにはあるさ、そう思ってお過ごし願えればと思います。
なにも大きな事を考えなくたっていいんです。目の前の事を、自分なりに精一杯やっていけばいいのです。
何か外的に意味があるから生きてるのではなく、自分の人生を、生き抜く事に意味がある。
そう信じております。
どうか少しでもまきさんの生きる道が、明るいものになるようにお祈り致します。
「出離の心」
まき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
迷い苦しみを繰り返す輪廻の原因(悪業、煩悩障と所知障)を根本的に断滅させない限りは、死後においても、完全に迷い苦しみから解放されることはないと、仏教では考えることになります。
まさに、まき様は、この輪廻の迷い苦しみから逃れたいという「出離の心」を起こされておられます。今こそ、仏教を修習していくための良い機縁であるのではないかと存じております。
世間的な楽や幸せではない、出世間的な真なる楽や幸せを目指して、是非、これから仏道の取り組みを進めて頂けましたら有り難くに存じます。
「人身受け難し、今已に受く。 仏法聞き難し、今已に聞く。 この身今生に向って度せずんば、更にいずれの生に向ってか、この身を度せん。」でございます。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
文世様
見ず知らずの人間を、このように励まして下さりありがとうございます。
「罰」ではなく「学ぶ機会」と、捉えること。
頭で理解していても、素直にそう思えるにはまだ時間がかかりそうです。
>何も起こらず楽しい事だけの中に居たいなら、生まれてきてないはずです
この世に生まれてきたということは、そういう学びを得なさいと望んだということなのでしょうか。
仏様のような存在が望んだのか、自分の魂が望んだのか…
今回いただいたご回答は繰り返し読ませていただき、自分の中に染み入ればと思います。
ありがとうございました。
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川口英俊様
仏教的な考え方をご教授いただき、ありがとうございます。
無学なもので何と言うのかもわかりませんが、俗に言う「悟りをひらく」ような考えが仏教にはあるのではないか、そうすれば全てを受け入れられるのだろうかと思っていた次第です。
>死後においても、完全に迷い苦しみから解放されることはないと、仏教では考える
死んでも解放されない苦しみから解放されるために、仏教を学ぶということなのでしょうか。
今後仏教の教えに触れていけば、なにか掴めるきっかけになるのではないかと感じさせていただきました。
ありがとうございました。