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私の中にある。
1962tronさん、はじめまして。
心はどこにあるのか?
私も以前、疑問を持っていろいろ調べたことがあります。
医学の祖といわれる紀元前五世紀の医学者ヒポクラテスは脳にあると言いました。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは胸(心臓)にあると言いました。
ヨギ(ヨガの行者)は精神は丹田に宿ると言います。
同じように東洋哲学でも長らく精神は丹田に宿るとされてきました。
最新の医学では、心臓に記憶野を持った細胞があるとされていますし、他の臓器の移植を行った場合にも臓器提供者の記憶が移行するといったことや、或いは、脳を全部他の動物と移植しても、元々の動物の本能はほぼ変わらないという研究結果まであります。
つまり、どこに心があるかといえば、我々凡夫には計り知れません。
敢えて言うなら、今は私の中にあるとしか言えないのです。
何で出来ているのか?
医学的に言えば電気信号と言われてしまうのでしょうが、潜在意識と情報を照らし合わせた葛藤する意識が、我々凡夫の心と言えるかもしれません。
仏教の中には「一身一念遍於法界(一身一念法界に遍し)」という言葉があります。
仏の悟りを得た時には、この身の意識はこの世の全てと同化するというのです。
今は多少のことで葛藤し、考え、悩み、苦しむこの心ですが、本当はこの身体という器には入りきらないものなのかもしれません。
どこにあるかよりも、穏やかであるか?豊かであるか?の方がより重要なことではないでしょうか?
「五蘊仮和合」
1962tron様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
私たち(人間)の存在は、仏教では、「五蘊(ごうん)仮和合」なるものとして説明されます。
五蘊とは、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊で、それぞれ、
色蘊・・肉体・物質のこと
受蘊・・感受作用のこと
想蘊・・表象作用のこと
行蘊・・意思作用のこと
識蘊・・認識作用のこと
となります。
これら様々な作用が関係し合うこと(縁起)によって、私たちの存在は成り立っているだけで、「心というものは、これですよ」と指し示せるようなものがあるわけではありません。つまり、実体(永久永遠に変わらない独立自存なる存在)としての心というものがある、成り立っているというわけではないのであります。
ですので、「心は一体どこにあるのですか」となっても、「これです」とお答えできるものではなく、また、「心は何でできているのですか」となっても、上記の五蘊がそれぞれ作用し合うことによって成り立っているものとしか言えないのであります。
但し、私たちには、肉体が滅ぶなど、五蘊の作用の幾つかが崩壊・停止したとしても存続していく「微細な意識」・「光明の意識・心」というものがあるとはされています。
例えば、唯識思想では、第八識・阿頼耶(あらや)識や第九識・阿摩羅(あまら)識といったものを仮立して説明される場合があります。
これら微細な意識・心について理解するためには、正直、禅定・瞑想を深く修行することが必要となります。
また、ここでも気をつけなければならないのは、それらの微細な意識・心(仮立も含めて)も実体・自性・自相として成り立っているものではなく、縁起として成り立っているものであるということであります。つまり、眼自体が、その眼自体を見れないのと同じように、仮立された心というものがあっても、その仮立された心というものそれ自体が、そのものを知ることはできない(つまりは縁起なる存在として知ることはできるかもしれない)として、お考え頂いても良いのではないかとは思います。
更には、業・カルマや業の習気(じっけ)、薫習(くんじゅう)といった、各々の行いについて深く関わってくるところでもあり、軽々に述べることはできませんが、もし興味がございましたら是非、仏教の学びを深く進めて頂ければと存じております。
川口英俊 合掌
こころのはたらきでないものはない
…です。
それを知ろう分ろうとするものも心です。
心とて、見すべきものも無かりけり
ただ、みえて、聞こえて、思えることがあるばかり。
聞くままに また心無き身にしあれば 己なりけり軒の玉水 道元禅師
心は色(物質)と別
生きものには心があります。
仏教では神様も生きものです。
肉体をもたない(無色界というレベルの)梵天という神々にも心がある、というか、梵天には心しかないのです。
物質と離れている心もあるので、心は物理的な場所に必ずしも存在しないのです。
むしろ逆に、生命にとっての物質世界が心の内にあるのかもしれません。
物質はどこにあるのですか?と聞かれたら、心にありますと答えられるかも。
心が何でできているのかという質問は、物質的な材料を想定しているようですが、仏教では、物質(色)と心は別なのです。
心は、認識するはたらきのことです。心の特徴は、無常である(瞬間瞬間に生じては滅して変化している)ということです。
無常、変化というところに、心とは何かというヒントがあるかもしれません。
物質的な現象とは別に、変化する何かであり、何か他のものごとを認識するはたらきをするのが、心です。
心は何でできているか?心は、変化でできている、とも言えるかも。
心は形の無いモノ
1962tronさま
心とは「心臓のシン」。存在するとしたら脳です。考えているだけです。
なんとなく胸のあたりにあるような感じがしますが、胸にあるのは心臓です。
実態の無い、普段「心」と言っているものに私たちは支配され、動かされています。
全て考えたこと。
嬉しい、楽しいと思っているのも、脳が指令を出しています。それはそれでいいですが。それがすべて
ではないということだと思います。
真実は脳の中にあるのではないということです。
質問者からのお礼
皆様解答有難うございます。
非常に難しいですね。
犬や猫にも心はあるのでしょうか?