祖母が余命宣告されました。
祖母が入院していてもう長くないみたいです。
長くて5年だそうです。
今も危ないと先生は仰ってます。
心臓に水が溜まり今は常に体の中で溺れてる状態で意識も朦朧としてるみたい。
お正月に会ったけどもうそんな長くはないのかな?ってなんとなく思ってました。
でもまだ実感わきません。
自分の身近な人が余命宣告されるとは。
お見舞い行くときちゃんと笑えるかな?
死へ向かうのって怖くないのかな?
ひとりで心細くないかな?
寂しくないかな?っていう考えが頭から離れません。
当たり前かもしれないけど大人になってから死を直面するのって凄くしんどくて。
その話も聞いて1日で1kg減ってしまいました。
旦那や赤ちゃんには笑顔でいつも通りな生活をしているつもりでしたがやはり精神的にキツいのかな?と思います。
こういう身近な死はどうやって立ち向かえばいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大人への階段
そうですよね。精神的に参ってしまうと思います。
【どう受け止めたらいいか】
この問題はみんな通る道です。
祖父母がいて、両親がいて、身近な人(家族や友人知人)がいつかはいなくなる。
これは「思い通りにならないこと」
として、お釈迦さまは「四苦八苦」とおっしゃってます。
老化、病気、そして死。
早かれ遅かれ経験します。
そして今回の好きな人と別れなければいけない苦しみとして「愛別離苦」。
老病死は個人個人の問題課題です。
今はおばあさまがそれに向き合っていく時期なのです。
そこに、心の安らぎとして、
宗教があるのです。
死んでも終いではない
あの世でまた再会できる希望がある
あの世(極楽浄土)からあなたや身近な家族を見守って導いてくれる存在となる
などの、
死と向き合い、それを受け入れ、希望に変えることのできるプロセスが課題としてあるのです。
一方、あなたは「もう会えなくなる」という悲しみや寂しさみたいなものとの葛藤があると思います。
これも、残った家族の課題です。
まだ余命5年近くある!と思って、今を大切に想い出をお互いのために作るのも大事です。本人もまわりも死を受け入れる準備をする時間があるというのはある意味ありがたいことです。
なかなか一度にすべて課題がクリアできるわけではなく、
祖父母の死、まわりの知人の死を通して、学ぶことがあります。(三人称の死)
また、映画やドラマ、小説で死やその時の感情を疑似体験するのも経験上役に立ちました。これもある意味現実を受け入れるための準備になると思います。
そして、両親や身近な家族の死としての二人称の死があります。
と同時に
一人称の死として
「わたしが死ぬときどうなるのだろう?」という
【死は自分の問題】
となるのです。
これは人生の問題の一つですので、
長い人生の中で自分なりの答えをその時その時に出していけばいいのです。
しかし、この【死】を通して、
【いかに生きるか】という人生の問題へとぶつかり、更により良く生きていくということにつながるのです。
どうぞ、寂しくて泣きたいときには泣いていいのです。
そのときの感情を大事にして…
でも、あまり引きずらないように、
【目の前の人を大切にする】
ということを心がけてくださいね。
子供さんや旦那さんの前では笑顔も。
あなたは素晴らしい大人になれる階段を歩んでいるのですから。
今ひとときひとときを大切にお祖母様と
拝読させて頂きました。
お祖母様の生命が既に余命宣告されて全うされようとしている状況の中大変辛い悲しい思いをなさっておられることとお察し申し上げます。
私も祖母が亡くなった時には本当に天地が落ちてくるのではないかとショックを受けて悲しみから解放されずに1年以上泣いていました。
大切な家族やお世話になった育ててくれた方が亡くなっていくことは本当に辛いことです。それは避けては通れない人としての生きる道ですがやはり大切な方が亡くなりゆく姿を送ることは本当に悲しいです。
今はこれからの限られたお時間をお祖母様にお会いにいってあげてあなたの元気な姿をお祖母様に見せてあげてください。これからあなたにとってもお祖母様にとっても本当に一時一時が大切な時間です。
そしてあなたはしっかりとお祖母様が仏様のもとに旅立っていかれる姿を真心こめて見届けてあげてください。それがあなたにできる何よりの孝行ですからね。
私もお祖母様が今を大切に生きて、心安らかに仏様のお導きをお受けなさり、正しくお旅立ちなさって仏様のもとにて安心してご成仏なさって頂きますことを心より仏様にお願いしてお念仏おとなえさせて頂きます。どうかあなたもお念仏おとなえして仏様にお祖母様の事をお願いなさってくださいね、
自然の営み
すず様
はじめて身近な人への余命宣告を聞いてでショックでしたね。
文面からあなたはとても繊細な感性を持っていることが伝わってきました。
繊細な人は生きるの大変です。
鈍感な人がうらやましく感じるでしょうね。
その繊細な感性はあなたのとても大切な個性であり能力です。
そういう宝をもっているのです。
怖くないのかな 心細くないのかな 寂しくないかな・・・
そうやって人の心を想像することができる。
大変かもしれないけどそんな感性を育てていってください。
人の気持ちを想像できるとのは人としてもっとも大切なことだから。
でもそれと同時に「強さ」とか「物事を広く大きく観る」視点も育ててください。
木も新緑のときを経て紅葉のときを経て・・・やがて枯れていきます。
いのちはそうやって循環しているのです。
自然のサイクルとして観れば「死」は怖くもなく寂しいものでもなく「そういうもの」です。
いのちあるものは必ず終わりがあるのです。
そういう見方をしていく練習をしてみてください。
だんだんものの捉え方が変わっていきます。
あなたはそれができる人だと思います。
自然の営みのなかでいのちは循環しています。仙如
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなりすみませんでした。
ようやく落ち着いて少しでも自分のできることを少しでも後悔の残らないようにと会いに行ったりしています。