嫌いな人の話を受け止めるには?
はじめまして、よろしくお願いします。
上司の言葉を受け入れられません。
きちんと受け止められるようになるには、どうしたらいいでしょうか。
この上司、人のあらを探して毎日何か言いたい人のようで、その内容が仕事のことだけならまだしも、私のセクシャリティ(セクマイかもしれないと自分で思っています)に関わることであったり、私の家庭の金銭や買い物など、とにかく目についた指摘事項を言っていいことと悪いことの判断もせずに口から出てしまうタイプのようです。そういう人もいるのだろうなということで今までやり過ごしてきました。
ただ、そんなやり取りを3~4年繰り返してきて、好きか嫌いか考えたら、圧倒的に嫌いに傾いてしまう自分がいます。
これが毎日毎日ですので、いちいち腹を立てていたら自分の体も気持ちもまいってしまいました。
そして考えれば考えるほど、あんなこともこんなこともあったとなり、小さな1回の怒りが積み重なった時のほうがのボルテージが上がってしまいます。
そんな悪循環を繰り返さないようになるべく抑えてはいるのですが、口を開けば何か言う人のことですので、何を言われても腹が立つようになってしまいました。それこそポジティブな話であっても、わざと頭の中で皮肉に変換するようになってきています。
長々と書いてしまいましたが、要するにもう上司が何を言っても受け入れられなくなってしまいました、ということです…。
ただ、これは仕事。ちゃんと毎日お勤めしている以上は上司の話も聞かなければと頭では分かっているのですが、わかっていて一生懸命聞こうとすると腹が立つの繰り返しで、いっそロボのように命令だけ聞く体になれないかと思っています。
重要そうな話を一通り聞くこともでき、何を言われても鉄の心で受け止めて決して怒らない人間になるには、どうしたらいいのでしょうか…。
なんとなく、昔住んでいたところの近くにあったお寺で遊んでいるときに、そこの住職さんが、何かを怒っている近所の人の話をうんうんと穏やかに聞いていて、お坊さんが腹が立つときはあるのだろうか…と考えたことを思い出して書き込んでいます。
最近は上司が見えないところで私が蹴り上げているプレハブの壁が無残な姿になり始めました…笑
どうかお答えいただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ミーさんこんにちは!
上司を受け止められないミーさんで大いに結構だと思います。
仏教の開祖お釈迦さまは
この世には
『怨憎会苦(おんぞうえく)』
という苦があるとおっしゃっています。
文字感から大体のイメージが沸くと思うのですが、
『怨めしく、憎らしいものと会っていかねばならない苦』
という意味です。
嫌なやつとも顔突き合わせていかねばならん。ということです。
ちなみに仏教のいう
苦とは
『思い通りにいかないこと』
という意味です。
だから
嫌なやつとも、嫌なやつに会って嫌なことを考えてる自分とも会っていかねばならない。という思い通りにいかないこと。
というこんな感じの意味です。
この『思い通りにいかないこと』
というのが味噌なんです。
私たちは思い通りにいかないことを思い通りにいかそうとして苦しんでいるんだ。
と、いうことなんです。
仏教はこれら
『思い通りにいかないこと』を消滅させる教えではありません。
思い通りにいかないことは思い通りにしようとしなさんな。
それが苦=思い通りにいかないことへの向き合い方だよ。
とお釈迦さまは教えてくださっています。
だからお坊さんだって
腹も立てば、嫌いな人、苦手な人もいるんです。
怨憎会苦はあるんです。
でも怨憎会苦に悩まされてる私を思い通りにしようとはしません。
思い通りにいかぬ私の心を思い通りにいかぬまま見つめている。
というだけなんです笑
うまく伝えられず、申し訳ないです!
質問者からのお礼
大乗様
お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。
ご回答ありがとうございました。
まず、「上司を受け止められないミーさんで大いに結構だと思います。」
という言葉をいただいて、ほんの最初から、涙があふれてしまいました。
これまで上司の言葉をきちんと受け止めることができる方法が何かしら存在するだろうとは思うのに、方法を見いだせないで暗中模索して正解を求めて、我武者羅になって疲れていることが悩みのすべてだろうと思っていたのですが、
正直自分でもわからなかったことで、頑張っても結局方法が見つからなかったことを許してほしい気持ちがあったのだなぁと気が付かされました。
大乗様のお言葉をいただいてから、怨憎会苦の意味を自分でも少し調べました。
いただいた意味と同じようなことがたくさん書かれていたのですが、人に限らず、やはり『思い通りにいかないこと』を消滅させるのではなくて、解放されるためには避けようのない苦に対してただ改めて見つめることと受け取りました。
思い通りにいかないこともまたこの身には当たり前に起こって、嫌いな人がいることもあの人に腹を立てることも、それもまた自分であって、よそから見たひとりの人なのだろうなぁと、専門外の人間ながらそう考えました。図太く小賢しいだけかもしれませんが、受け取り方次第ではそれもまた、相手の想いも背負ってきちんと前を向ける言葉な気がします。
今日も明日も仕事はあり、もちろん上司とも顔を合わせますが、勝手に一人で自分を追いつめるのはそろそろやめてみようかなと思います。
ありがとうございました。