生き物
小学生低学年の時に鳩を殺してしまいました。本当に後悔しています。自分はある発達障害を持っていて後先考えずに行動してしまうことが多々あります。そのせいなのかもしれないのですが、殺すつもりはありませんでした。捕まえてみるつもりでした。しかし、殺してしまった。時々、こんな事をしたのに生きていく資格があるのか分からなくなる事があります。死んだ方がいいのか?
でも、死んでも償いになりません。なんの巡り合わせか分かりまんが、僕は家に飛んできたインコを保護し、家で飼っています。また、家に鳩が来るので餌をあげています。鳥だけでなく、全ての生き物を大切にしなければならないと思っています。殺してしまった鳩がいた場所で毎日手を合わせています。しかし、僕は生きていていいのか迷う時があります。どうしたらよいのでしょか?
鳩に本当に申し訳ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を責めなくていいので動物を大切にしてあげてください。
もうずっと前の事なのに覚えてられたのですね。
お坊さんのサイトに相談されるくらいだし、ユウタさん自身も傷ついておられるのでしょう。
確かに、ハトさんが死ぬ間際、苦しかったでしょう。
そのハトさんの苦しさは、ずっと受け止めていて欲しいなと思います。
でも、それが原因で死のうなんて思う事はバカげた行為です。
これは、お坊さんとしてではなく、一人の人間として伝えたい。
その想いで回答しました。
ユウタさんは優しい人だろうなと、私は感じました。
私も動物好きで鳥さんでは「うずら」を飼っています。
お互い、動物を大切にして行きましょう。
最後に・・・・
動物を大切にする弊害として、ハトの場合、糞の問題があります。
また、不用意に野良猫にごはんをあげてしまうと、子供が生まれ、野良猫が増えすぎると、かわいそうに保健所で殺処分ということにもなりかねません。
生き物を大切にするには、最期まで寄り添う覚悟と責任があるという事を認識しましょう。
生命への感性を大切に
ユウタさん
鳩を殺してしまったこと、ずっと覚えていた・・・忘れられなかったのですね。鳩のいのちを奪うという大変申し訳ないことをしたのですから、心からの「懺悔」が必要です。懺悔は謝れば済むということではありません。あなたが死んでも償いにはなりません。その気持ちを「生き方」として示していくとことです。
鳩を殺してしまった・・・それがあなたのいのちに対するひとつの「原体験」であり「原罪」です。罪をどう償っていきますか?それを自分のテーマとしてもって生きていってほしいと思います。それがわかる感性の持ち主と思いますから書かせてもらっています。
私にも子供のころにそういう体験がありました。5,6歳のころだっと思います。、アリやバッタを捕まえて足を引っ張って取ってしまいました。バッタの血は赤くないんだな・・・と観察していました。殺すより残酷なことかもしれません。その後、自分のしたことの残酷さに気づいていきました。
自分のなかにある残酷さを自覚したことにより私は様々なカタチで「いのち」を考えるようになりました。
私は現在ヴィーガン(完全菜食)です。肉も魚も卵も乳製品も食べませんし、革や毛皮製品も使用しません。動物実験をしているところの商品は買わないようにしています。5,6歳のころの原体験をもとに、それをテーマにしながら私は生き続けています。
あなたにそうなれというのではなく、自分なりの答えを見つけていってほしいと願っています。動物のいのちに対してとても無神経な世の中で、ユウタさんのような気持ちを持っている人がいることは、とても救いになります。ありがとう・・・と言いたい気持ちです。
どうか人間以外の生命を大切に思う感性を大切にして生きていってください。仙如
質問者からのお礼
仙如様、海老原 学善様
本当にありがとうございました。生き物を大切にしてこれから生きていきます。食事の前のいただきます、ごちそうさまはしっかりやります。
すいません。供養はした方がいいですか