前を向く考え方
前回ニートの悩みで投稿させていただきました、柚月です。
ニート脱却を試みているのですが、今かなりマイナス思考になってしまっています。
というのも、双子の妹が、「就職セミナー行こうかなー」とか「就職説明会どうしよう」と言うたびに己の惨めさを痛感してしまうからです。
レールに乗って、皆と一緒に、同じ立場の人に並んで就活できて、新卒として気負いなく就活のレールに乗っていける妹。
対して、自分のせいとはいえレールから外れて、一緒の立場の人もいなくて、ひとりぼっちで活動しなければいけない自分。
人と比べるな、とは言いますが、真隣にいる人間と比べないのは難しいです。
夕方、「大企業も行こうか悩んでるんだー」という、そんな妹の何気ないはずの言葉にとても惨めな気持ちになってしまいました。
地方とはいえ国立大卒で新卒。
大企業を受けても笑われない立派な肩書きです。
それに比べて、わたしは二浪した上に国立大学に行けず、高卒なのに二年近い空白のあるバイト歴も職歴もないクズ野郎。
大企業なんて、受ける資格すらありません。
大企業に入りたいと思ったことは一度もない、けれど、そもそもその選択肢すらわたしにはないんだ。口にするのすらわたしには烏滸がましいんだ。大企業だけじゃない、色んなところで、選択肢が狭まってしまっていたんだ。
そう思い知ってしまい、妹との格差に愕然としました。
もしかしたら、大卒の妹が月収25万もらえるようになったとしても、高卒のわたしは10万前後の給料しかもらえず、貧困に喘ぎながら生きることになるのかもしれない。
高卒だから、結婚もできないかもしれない。
これから先、ずっと格差を見せ続けられながら生きていかなければならないのか。
どんなに頑張っても、学歴社会の中では妹に並び立つことはもうできないのか。
もう、昔のように対等ではいられないのか。
そんなことばかり浮かんでしまい、惨めで惨めで仕方なくなりました。
妹のできることが、わたしにはできないことが多くて、だから、こんな出来損ない、いっそ生まれて来なければよかったのに。
出産直後に息をしていなかったらしいからその時に死んでしまっていればよかったのに。
今まで一度も思ったことがなかったけれど、もう、死んでしまおうか。
そんなことばかり頭を巡って、涙が止まりません。
生きたい、とまた思うには、どうしたらいいでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
比べようのない私
学歴気にしちゃいますよねー。私もなんだかんだいって、一流大学出身と聞くと構えてしまいます。まだまだ肩書きで人を見てるなー、っと反省します。
が、肩書きで人は決まりません。中卒でも立派な人もいますし、一流大学卒の犯罪者もいます。まあ、何をもって立派で、何をもってグズかという話にもなりますが…。
車の運転って人生の参考になるなぁって思うんです。車の免許はお持ちですか?
私は免許取って10年以上経ちますが、最初めちゃめちゃ運転が下手でした。まずペーパードライバーの時期が長かったので、乗り始めは緊張して、全て頭で考えながら、アクセル、ブレーキ、右折、左折、車線変更、信号確認、巻き込み確認…。全てがぎこちなくて、常に神経を張り巡らせて、緊張しまくりでした。なので運転が嫌いでした。
ですが、毎日仕事で乗らなければならないので、それでも運転し続けました。そしたらある時から自然に運転できるようになりました。私と車が一つになった感じで、いちいち考えなくても、視界全体に注意を保ちつつ車の操作も自然に出来るようになりました。運転が好きになりました。
でもでも!危ないときがあります。慣れから、スピードを出しすぎたり運転が乱暴になったり確認を怠ったりと色々弊害もでてきます。
なので今では、全てをふまえた上で、安全第一、心穏やかに運転するようにしています。
人生って、緊張しすぎてもだらけすぎてもだめで、バランスがとれた状態が一番いいんですよ。ときには緊張も必要だしリラックスも必要なんです。
で!運転をするのは「私」です。「私」が「私」を運転するんです。私を妹さんが運転することはできませんし、妹さんを私が運転することもできません。比べるというのはそれくらい無意味なことです。
柚月さんが今やっていることは、妹さんの上手な運転を端から見ながら嫉妬してる…ような感じじゃないですか?自分の車があるのを忘れて。
柚月さんは、自分を生きましょう。そもそも比べられるものではないんです。取り替え不可能な私をそれぞれが生きているんですから。
世間一般を生きている人より、自分を生きている人のほうが輝いてますよ。