本当の家族ってどういう事ですか?
先日、姑にこの家の人(家族)になってほしいと言われました。残りの人生笑って暮らしたいと。
私は、今まで過去に言われた姑からの暴言を、何もなかったかのように忘れ、許すことができません。
自分が今義父母たちを避けていることはよくないことで、器の小さい人間のするとことだと思っています。
しかし、話し合いになると、姑は自分の考え方は正しい。間違っていない。
暴言をはいたのも、私の行いや言動が悪いからで、そう言わせたのも私の責任だ、と言います。私に対する共感はないのです。
私は、その人の人格を否定したりする言葉はどんなことがあっても言ってはいけないと思っています。
もし、感情的になって間違って言ってしまったら、きちんと言い過ぎたことを相手に誤るべきだと思っています。例え親が子供に言ってしまったとしても。
今こうして、旦那が両親を養い、孫と一緒に暮らしているだけでは、幸せではないのですか?
まだまだ未熟ものです。理想ばかりを追うのではなく、現実を見て、自分の正直な醜い心とも向き合っていきたいと思っています。
どうぞお知恵をお与え下さい。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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難しい!。自分の考えを変えるのは・・・。
平安時代に清少納言が書いた『枕草子』の中に
《有り難きもの 舅(シュウト)に褒められる婿 姑におもわれる嫁》とあります。千年以上前から「嫁と姑」は仲良くなるのが難しい(あり得ない)というのです。
〈暴言をはいたのも、私の行いや言動が悪いからで、そう言わせたのも私の責任だ、と言います〉。そう言うのが「普通」なのです。いちいち気にすることは有りません・・・。
納得できない!。〈私は、その人の人格を否定したりする言葉はどんなことがあっても言ってはいけないと思っています。もし、感情的になって間違って言ってしまったら、きちんと言い過ぎたことを相手に誤るべきだと思っています〉・・・そう❝正論❞です。さはさりながら、小生は少し「しんどく」感じます。あなたは「器の大きい人間」「完璧主義者」のようですね~。失礼!、あくまで小生の「感じ」です。
仏教では❝我愛=「自分が一番可愛い」と思う事❞が苦の元だと教えます。腹が立った時「姑は【わがまま】だ!。私は?・・・」と一呼吸入れるよう心掛けて下さい。「私も【わがまま】かな~」と思えるようになった時、何かが変わっているでしょう・・・。難しいですよ・・・(笑)。
もう一点〈今まで過去に言われた姑からの暴言を、何もなかったかのように忘れ、許すことができません〉・・・当然です。しかし、これも忘れて下さい。さらに難しいですが・・・(笑)。
質問者からのお礼
コメントをいただき、ありがとうございました。
ムキになっている自分がいることに気づかされました。完璧を求め、正論を語っていることも。
自分の考えに縛られすぎて、自分で自分自身を苦しめていたのだと思いました。素直にそう認めることができました。
もっと肩の力を抜き、一呼吸置いて自分を振り返られるよう、努力していきたいと思いました。本当にありがとうございました。