質問ではなく背景にばかり着目されますが、何が原因でしょうか?
お世話になっております。
柴田秋と申します。
いままで5回、こちらで質問させていただいております。
http://hasunoha.jp/questions/5942
http://hasunoha.jp/questions/16110
http://hasunoha.jp/questions/16187
http://hasunoha.jp/questions/16211
http://hasunoha.jp/questions/16238
「背景や問題点を整理して書いてください。」
上記の記述により、質問だけではなく、その前提となる背景を文字数の制約の中で書いているつもりです。
余談ですが、整理と整頓の意味の違いは存じております。
質問そのものへ回答がなく、背景に対して何か進言されることが少なくないように感じます。
YES/NO(またはそう思う、分からない)で答えられる問いですら、その状況です。
幾人かからは、質問そのものの答えそのものを頂いておりますし、ご回答、ご意見がいただけること自体はありがたく思っております。
大きな質問は表題のとおりです。
・質問ではなく背景にばかり着目されますが、何が原因でしょうか?
小さな質問です。
・原因は私の方にありますか?
・そうであれば、背景に過不足がありますか?
もしかしたら批判や皮肉として受け取られる方がいらっしゃるかもしれませんが、これは疑問です。
重ねて申し上げますが、本当に単純な疑問です。
以上、お手数ですが、ご回答よろしくお願いします。
SEです。 父、母、姉がいます。 男性らしさや女性らしさを強要されることが嫌なトランスジェンダーです。 発達障害者です。 宗教全体に忌避観念を持っています。 ただし、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教をパロディとして信仰し、パスタファリアンとなりました。 先日、按手証明書をいただきました。 他、科学的方法、特に数学を信仰しています。 嘘やごまかしが苦手で慇懃無礼に感じる方もいるかもしれませんが、質問は真剣な悩み故です。 怒ることには疲れているので、最近は怒ることは稀です。 酒、煙草、コーヒーが大好きです。 自由に生きたいです。
自らを由としないことに耐えかねています。 らしさを強要されるとストレスです。 考えの転換が難しいです。 嘘に抵抗があり、故に損をし易い気がします。 曖昧さに不安感を感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教の教えがそうだからです
おはようございます。
仏教では因果を説きます。
現在の状況には原因がある。また現在の状況が今後何かの結果になる。お坊さんたちは質問の「背景」(原因)を考えます。
また、仏教では「苦」(思い通りにならない事)に対して、原因を探り、それを「滅」(コントロール)して、正しく生きる事を教えとしています。
つまり、お坊さまたちは、質問に対して、表面上のイエス・ノーではなく、もう一歩進んで質問の裏に隠れた背景を見て、あなたの心の芯を解きほぐすような回答をしてくださっていると思います。
そうなると原因は仏教の考え方にある、という事になりますかね。またどのような質問に対しても、お坊さん相手でしたら過不足関係なく背景(原因)を追求する回答になると思います。
追記
「お礼」ありがとうございます。一瞬でもイエス/ノーの質問はやめてみようと思って頂けた事は私にとっては成功です。あなたはイエス/ノーに頼りたい性格のようですのでそれは仕方ありません。イエス/ノーの質問でも良いですよ。でも回答の中に書いた通り、お坊さんの答えはイエス/ノーにはならない事が多いと認識してください。それはご承知おきください。
じゃんけんって、グー・チョキ・パーの3つなんですよね。世の中が全部イエス/ノー、白/黒ならグーとパーだけでいいはずです。そこにチョキがある。アンケートなどでも、「はい」「いいえ」の他に「どちらでもない」や「どちらかといえば○○」がある。機械もがっちり組んでは動かない。「遊び」(クリアランス)が必要なのです。私たちは、イエス/ノーでは片付かない世界で生きているって事です。特に日本人はそういうのが好き。
あなたにとっては、イエス/ノーじゃない世界はとっても生きにくいんだと思います。イエス/ノーがあなたにとっての考えの支えになっているからだと思います。もちろんそれで良いです。一方でこの世界には「チョキ」や「どちらでもない」や「クリアランス」が好きだったり必要だったり人もいるって事です。
またどうぞ。
質問者からのお礼
>仏教の教えがそうだからです
光禪様、おはようございます。
ご回答ありがとうございます。
認識を改めました。
追記です。
今後質問する機会があったら質問の仕方を変えてみようと思います。
つまり、YES/NOを問う質問はやめます。
追記、訂正です。
どうしても質問の形式がそうならざるをえないような状況があるかもしれないことに思い至りましたので、決めることはとりあえずやめたいと思います。
つまり、下記は取り消しいたします。
>つまり、YES/NOを問う質問はやめます。
追記ありがとうございます。
拝見いたしました。
数学では解が2つ以上あることも解がないこともあります。
ただ、解が2つ以上ある事自体も、解なしそのものも、それ自体が唯一解となります。
その意味において、YES/NOは唯一解をもつものです。
これは、私がそれに頼るということではなくて、論理の上でそうなのです。
AならばBであり、BならばCであるときに、AならばCとなる。
A → B ⇔ 1
B → C ⇔ 1
∴ A → C ⇔ 1
これは私が同意しようとせざると揺るぎなく正しいことです。
ファジー論理の話は、あえてこの場では無視しております。
YES/NOに頼るのではなく、YES/NOで答えられる疑問が出てくることその事自体が、あり得るという話です。
すみません。
更に追記です。
提示した推論は三段論法ですが、これは定義ではなく、定理です。
謝っていることが示されるまでは、現状、正しいことです。
ですから「現状では」間違いなく正しい、程度のニュアンスです。