瞑想について
私は対人恐怖症、不安障害等の精神疾患を患っています。ですが、人と繋がりたい関わりたいという気持ちは強く、自己成長したいと強く思っています。そのため、瞑想を半年前から始めてみました。ですが、効果のある瞑想ができているとは思えずここで相談させていただきました。助言をいただけると嬉しいです。
1.瞑想中、緊張をして身体に力が入ってしまったり、不安な思考が生じて、瞑想後にものすごくしんどい気分になってしまいます。
2.思考から呼吸に意識を戻すということがものすごく難しく感じます。無理矢理戻そうとするのですが、身体に力が入り苦しくなってしまいます。
瞑想後は頭が痛く、不快な気持ちになることが度々あります。この状況を解決したいのですが、何かアドバイスいただけないでしょうか?
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆったり・ゆっくり行っていきましょう。
ノコ 様
zoomで、練習できますよ。
私のお寺では、毎週土曜日の夕方に、慈悲の瞑想会を行っております。
この慈悲の瞑想会は、コンパッショネイトマインドトレーニングに準じて行うもので、思いやりや優しさを育てることを旨としております。
手順は、
①マインドフルネス=今ここの自分の状態を評価せず判断せず、ただ注意をむける。
②スージング・リズム・ブリージング=心地よい呼吸のリズムで心身を落ち着かせる。
③種々の慈悲の瞑想=自分へ思いやりを向けることを行いやすくし、慈悲の心を育てていく。
ということになります。
詳細は、お尋ねいただいたら、お伝えいたしますし、私とzoomでセッションも可能です。(今、お盆前であまり時間がないので8月後半からになります)。
それで、緊張したり、不安な思考が侵入してきたら、その不安さんを客観的に眺めて、テレビのCMを流してみてしまうようにただ過ぎ去るのを待ってみましょう。
そして、呼吸に意識を戻すときは、優しく穏やかに、判断せずゆったりと出る息・入る息に呼吸を戻していくといいでしょう。空気が最初に入る鼻の穴や、入り切ったお腹の特定部分に意識を向けていくと、思考から離れやすくなるでしょう。
頑張り過ぎないことも大事です。ひと呼吸・ひと呼吸リラックスしていく~という感じを焦らず意識していくのもよいでしょう。
また、アロマを焚いたり、温かい飲み物など用意して、形式にこだわらずにリラックスしてから瞑想をおこなうもの良い方法です。
色々試してみて、しっくりくる方法でゆったりゆっくり行っていきましょう。
参考にしてください。解らないことは遠慮なく質問してください。
一礼
瞑想指導を受ける
一口に瞑想と言っても色々あります。
瞑想をやってみて行き詰まった場合には、その瞑想を指導している僧侶や団体に直接指導を請う方が良いと思います。
逆に言えば、初心者瞑想指導等を開催してくれている団体の瞑想をやる方が安心だと言えます。
それも、新興宗教ではなく仏教の僧侶が指導してくれる団体をみつける方が良いでしょう。
座ってやる瞑想で呼吸に集中する方法がやりにくいなら、歩く瞑想や立つ瞑想等もありますので、試してみてはどうでしょうか。
瞑想に興味を持ってくださったことは本当に尊く素晴らしいことです。
焦らずに、これからも瞑想を続けていただけたら幸いです。
ありのまま感じていればよいのですよ
お悩み拝読いたしました。
瞑想指導はくしくも拙僧の専門分野でありますので、少しくもご助言を申し上げたいと思います。
普段は一対一でお話しをお聞きしながら指導指南いたしておりますが、拙僧の経験上ひょっとするとノコさんは(瞑想中)殊更に「リラックスしよう」「力を抜こう」とされているのではなかったでしょうか。もしそうだとするならば、それが逆にノコさんを自然体から離反させ、力みや雑念を引き起こし、かの自由なお心を煩悩の檻のなかに閉じ込めてしまっているように思われます。
そこで、一つアドバイスを。
瞑想をなさるときに少しご自分の呼吸を観察してみてほしいのですね。姿勢や座り方などあまりこだわらずに(床でも椅子でも)座っていただき、ひといき息を吐く。しばらくすると息を吸いたくなると思いますので、吸いたいように息を吸う(鼻からでも口からでもどちらでもOKですよ)。そうして息を吸っていると、今度はどこかのタイミングで息を吐きたくなるでしょうから、そうしたら息を吐きたいように息を吐く。吸いたいように息を吸い、吐きたいように息を吐く。また、吸いたいように息を吸い、吐きたいように息を吐く…。息を吐く時、胸のあたりやお腹のあたりを感じてみてください。自然と力が抜けているのではありませんか。体の内側がふわっとほどけでいるように感じられるかもしれません。
実はそれもそのはずで、息を吐くためには体のなかで力が抜けませんとどうやっても息を吐くことなど出来ないのですね。ですから、無理に力を抜こうとしなくても、自然と力は抜けていくわけなのです。わたしたちは、ただそれを”感じていればよい”のですね。
これが「呼吸を観察する瞑想」です。
少し試してみてくださいませね。
僭越ながらもう一言。苦しまれながらも半年瞑想に取り組んでおられるとのこと、そのこと自体が立派なことだと拙僧は思いますよ。何かを得ることを目的にせず、ありのままの内面の移ろいに微笑みかけ、刹那刹那の気づきのなかでそのままそのとおりに、体が(ひいては、いのちが)受け入れるとおりに受け入れていってください。その先には必ずよいこともあるはずですからね。
そわか合掌
瞑想に二種類ありまして
仏教では止観などといって、瞑想を二種類に分けます。
止は、体や心を止めて何か一点に集中して、仏教でいえば、禅定に入って心の安らぎを得ます。仏教以前からのヨーガ瞑想はじつはこれで、禅定や超能力も身に着くかもしれませんが、一時的なもので煩悩の根本的解決にはならない、と、釈尊は見ています。
もう一つは、欲や怒りの感情・煩悩とか禅定とか超能力を作るその心の正体を突き止めるために釈尊が発見した観の瞑想です。
座っても、一点集中ではなく、体の感覚を捉え続けて、それらの絶え間ない生滅の連続に気づいて、無常だ、苦だ、無我だ、と気づいて智慧を生む瞑想です。歩いたり立ったりもして、そうさせる心や保ち続ける体の感覚などを観続けます。
観の瞑想だと、禅定や超能力になりにくいですが、癖がつくと、普段から落ち着きます。余計な妄想をしにくくなります。感情よりはテキパキと仕事をこなしましょうタイプになります。完成すれば悟れます。
あなたには、ものごとを落ち着いて見極める、そして少なくとも副作用はまったくない、観の瞑想のほうが向いていると思います。
観の瞑想も、今ではいろんな人がいろんなことを言っていますが・・・
スマナサーラ長老のyoutubeに、ヴィパッサナー(観)瞑想指導のものがあったと思います。日本語ペラペラでわかりやすいです。試してみてください。
質問者からのお礼
たくさんのコメントありがとうございました。頑張りすぎずに、簡単な瞑想から少しずつまた始めてみようと思います☺️