頑張る意味
最近ふと何故自分は今頑張っているのだろうと思ってしまいました
自分は中学校を受験して合格を貰いましたが、不登校になっていた時期がありました
その時に振り返ってみると、自分は親の言われるがまま生きてきていました
親に怒られることを恐れ、自分の感情を表に出すことができず、外でも心を開ける人間はいませんでした
その頃から自分がやりたいこと、興味を持てるものが何も無いことに気がつきました
何をやっても楽しく感じなくなりました
趣味のゲームをやっていても生まれるのは虚無感だけで嫌になりました
今自分は学生なので、当然未来のために勉学に励むべきだと思います
周りは友達と遊んだり、部活に励んだりしてます。とても楽しそうです
自分がその中に入って楽しいかと言われればそうでは無いですが、でも楽しそうにしているのが羨ましいのです
楽しく無い人生の為に頑張る意味はあるのだろうか、
こんな人生を生きる為に頑張る必要はあるのだろうかと思うようになりました
人は何故頑張っているのでしょうか?
努力が報われる保証はどこにもありません
当然、努力しなければ叶いませんが、
もし目標を達成したとして、次にまた新たな目標が見えてきて、その為に頑張らなければいけない。
そして次々出てくる目標はいつか自分の限界を超え、叶わないものになると思います
それなのにどうして、頑張ろう、生きようと思えるのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頑張りのハードルは上げないに越したことはない
ん〜…逆だと思うんですよね。結婚でよく言うでしょう、「待ってても運命の人は降ってない。自分から動かないとダメだ」って。それと同じです。
最初に興味のあることがあって、それを頑張るのではなく、とりあえずやってみた結果として、興味が湧くものは湧くし、自分に合わないものは合わないと分かるんです。
本当は就活だってそうだと思うんです。体験したことも親や親しい人やってたわけでもない事なんて、いくら調べようが所詮は想像です。どーせ表に出せる部分しか公表されていないのに、そこから集めた情報で夢を膨らませる。
で、いざ働いてみて「こんなハズじゃなかった…」と打ちひしがれて辞めていく。
違うんじゃないかな…まずは食うために働く。そうしていたらお客さんなり同僚や上司なりとの繋がりが出来てくる。その繋がりの中にやり甲斐が生まれる。やり甲斐が生まれてようやく、目標や充実が確たるものになってくる。私はそういうものだと思いますよ?
その繋がりは必ずしも人とは限らず、生産物や作品、技だったり様々ですが。
だから逆なんです。そりゃ頑張れば報われる保障なんてどこにも無い。でも、頑張らないと報われる可能性が発生しない。言ってみれば『頑張らない人生より、頑張る人生の方が楽』であり、『長い目で見れば頑張る人生より、頑張らない人生の方が辛くなる』のです。
ぶっちゃけ私だって働かずに生きていけるなら、絶対に働きませんよ。1秒たりとも働かない。でも、働かないと食っていけない。だから働く。そして(程度の問題として)自分で仕事を選べる立場になるためには、勉強や訓練で引き出しを増やさないとならない。さらにその引き出しをしかるべき人に認めてもらえないといけない。だから勉強し、練習する。それだけです。仕事を選ぶためには『誰にでも出来るわけではない』何かが必要なんです。いわゆる『手に職つける』というヤツです。
別にさらなる高みを求めて頑張っているわけではありません。ワタシャそんな聖人君子じゃない。ただ、適度に働いて適度に遊べる立場をキープするために、頑張って頑張りすぎない幅の中に居続けようとしているだけです。
そんな感じで生きれば良いんじゃないかなと思いますよ。
考えば考えるほどつまらなくなる
考えることや、理解すること、意味を持たせること、これらはすべて人間の勝手な行動の一つです。
ご飯を食べてその味がある。大好きなラーメンを食べるとおいしー(^-^)と自然に思いがでる。そうした動きは、人間の考え以前の様子です。
スポーツをする人は考えていません。考えてやっていたら遅くなります。理屈ばっかりでは楽しくなくなります。
点が入った時、喜び声を出します。みんなで抱き合ったりハイタッチ、グータッチもします。それらの動きは理屈ではなく、考えた末の行動でもないのです。だからこそ一体感が出てきます。
「名前を呼ばれたら大きな声で返事をする。」
これができるかできないかで、人生は大きく変わります。頭で考える人は、声も小さく下を向いて返事をします。
損得ではない。好き嫌いでもない。やればいいのです。自分なんてもんは捨ててやってみることが、自分を育て、充実感も自然と出てくるのです。