単純なバイトに精神的苦痛を感じます。
私は今、夢を叶えるための資金集めとしてとある洗い場でバイトをしています。
しかしこれが正直きついです。
単純な作業なので肉体的には全くきつくないのです。
むしろ立ちっぱなしであることを除けば楽な部類です。
しかし単純な作業ゆえやっていることにすぐ飽きてしまい、精神的にものすごいきつさを感じてしまいます。
早く仕事おわれー早く仕事おわれーと常に念じながら働き、そして数分ごとに時計を眺めては進まない針に落胆しストレスだけが溜まるのが現状です。
ストレスの弊害は明確に勤務態度や作業効率に現れているのが自分でも分かりますし、このままでは同僚にも迷惑をかけてしまいます。
このままではとても続けられる気がしません。
この現状をなんとかする方法はないでしょうか。
是非知恵をお貸しください。
他人より行き遅れていることへの焦燥感
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私はよく念仏を唱えているのですが、様々な雑念や妄想が頭の中に浮かんでは消えていきます。
けっこう長い時間念仏を唱えたつもりなのに、ふと時計を見ると5分しか経ってなかったりして驚きます。
ところが反対に念仏を唱えることに集中していると、声を出して精一杯唱えていると、あっという間に時間が経っていることもあるのです。
お皿洗いしてるのかな?
お皿を洗うことに集中してみませんか?
いかに綺麗に、早く、効率よく、洗剤や水の無駄をなくして、お皿を洗うことに集中するのです。
お皿洗いに関しては店で一番を目指すのです。
もっとじゃんじゃんお皿持ってこい!っていうくらいの気持ちで。
常に、もっと綺麗に、もっと早くできないか工夫を考えながら。
眠れぬ夜は長いですが、思い切って寝るとあっという間なのですよ。
別のアルバイトを探す選択肢もあります。
あなたは、アルバイトの作業内容に対し、ストレスを感じているのに、とりあえずは、なんとかしようと考えられていますね。
やる気が出ず、同僚に迷惑をかけそうと考えているならば、違うところでアルバイトを探してもいいのではと、私は思ったのですが.....
やはりそれは、難しい事だと思われているのでしょうか。
今のアルバイトは、つまらない。
でも、別のところに行っても、同じかもしれないと、ためらっておられるのでしょうか。
今のアルバイトは、あなたにとって「なりたい自分」になるための資金集めとしての一つの手段です。
だからと言って、手を抜いてくださいといってる訳ではありませんが。
別の所に移って働くことは、悪いことではありません。
今よりもやりがいが出てくるかも知れませんし。
まあ、こればかりは実際やってみないことには分かりませんが。
もちろん、今のまま続けるという選択肢もありますが、もしそう決断した場合は、作業内容を理由に、手を抜くような事をしてはいけません。
単純なるゆえに
こんにちは。精神的苦痛…と聞くとアラ大変、とも思いますが、結局「つまらない」ということなのでしょう?
私たちも、単純作業は多いですよ。お掃除もそうですし、色んな行事のご案内、そして浄土宗ですから中心的になるのが「お念仏称える」です。これ、800年前から変わらないのですよ。
でね、面白いのは「どんな気持ちでやっても、まあ良いよ。やらないよりも、良いよ。」っていうスタンスなんです。それこそ800年前から。「気持ちは、やってるうちに付いてくる」っていうんです。後はやらなきゃたどり着かない。本人次第。
これ、お皿洗いでも実は同じなのではないかしら。ドンドンドンと、新しい仕事に取り組んでいくのもいい。クルクルと変わってもいい。けれど、同じことを愚直に続けることで見えてくる世界が、あるのです。
多角的視点を得る
ワンモアベイベー様
こんにちは。拝見させていただきました。
夢を叶えるために頑張っておられるのですね。すごいですね。そうやって一生懸命行動出来るというのはワンモアベイベーさんの長所であり才能だと思います。
さて、現在お勤めの単純作業の仕事が単純であるが故に飽きてきてしまうとのこと。確かに単純な作業に向いている人もいれば向いていない人もいると思います。人間皆が同じ器ではなく様々な形の器があるのですから、向き不向きがあるのは自然なことだと思います。
仕事の内容を変えることはできませんが、「味方」を変えることはできるのではないでしょうか。例えば、いかに効率よく今の作業を円滑に進めるためにはどうすればよいのかを経営者目線で考えてみる。あるいはこれから新しい新人が入ってきたときにどのように教えること、ポイントをつかめば即戦力として仕事ができるようになるのか。
近くに他の仕事をしている人がいるのならば、その人の仕事から得られるものはないか。今の仕事を通じて得られるものを見つめてみるなど、「多角的視点」を持って仕事を見ることが、これからの夢、仕事にも役立つのではないでしょうか。「やらされている労働」で有る限り面倒です。「では自分が明日から会社を任されたらどう動くだろうか」と意識して働くことで今まで「やらされていた仕事」を別の視点で見ることが出来るのではないでしょうか。
仏道も自分自身を強くしたり偉くなったりするためのものではなく、「仏様の視点」でもって自分を見つめ、自分の「偏り」「価値観」「人生観」を見つめ直すことを通して仏様の心に触れていく道です。仏道は自分の「ため」だけではなく自分も含んだ「生きとし生けるもの」のために歩む道だからです。
今こうして夢のために頑張っておられることはすばらしい事だと思います。もしどうしても合わないのであれば無理をする必要はないと思いますが、まずは「多角的」に見てみることをおすすめいたします。応援しております。合掌