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生き霊

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一年前に両親が別居しました。長年の父親のDVが原因です。身の危険を感じ、私も父親と縁を切りました。
ここ数ヵ月、毎晩、悪夢をみます。父親に首を絞められたり、殺される夢です。体調を崩し、仕事も休みがちになりました。
生き霊でしょうか?どう対処したらよいですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すでに救われています

ななさま

DVに苦しんでいたとのこと。大変でしたね。お辛かったことでしょう。
しかし、今は、そのお父様とは離れた所で生活しているとのこと。安心しました。

しかし、今も苦しんでいられるということですが、それは生霊ではなく、記憶だと思います。

それだけ辛い思いをされてこら他ので記憶に残っているのでしょう。思考はしつこいです。嘘をマコトかのように見せてきます。
しかし、思考から離れ、現実をよく見てください。

すでにあなたが今いる場所は、不安のない安心できる場所でしょう。違いますか?

思考に騙されない、今目に見える物、聞こえる物、に気を向けてください。何にも不安はないはずです。パソコンにも不安はない。テレビにも不安はない。時計にも不安はない。目の前に置いたコーヒーにも、何にも不安なんて物はくっついてません。

外から聞こえる音にすら、何にもくっついてないですよ。そこで不安がもしあったなら、それはあなたの思考にすぎません。

安心してください。今はもう救われているのですよ。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

大き目の飴をなめずに丸飲みしたらしたら、のどに突っかかったような感じが残りますよね?
飴はのどを通り過ぎているのに、苦しい感覚だけは残ってしまいます。
それと同じように、ななさんの不安な感覚、恐い感覚だけが心に残ってしまっているのです。
でも、父親のことはもう過去のことなんですよ。絶対に生霊ではありません。過去に過ぎ去ってしまっているけど、感覚だけが残ってしまっているのです。安心して下さい。もう昔のことです。昔のことなのですよ。

お友達と会えるようでしたら、会いましょう。FacetimeやSkypeでもいいですよ。職場が嫌いでなければ仕事にも行きましょう。昔の感覚を忘れられる時間をたくさん作ることが大切です。1人でいたら昔の感覚が長引いてしまいます。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

生霊の正体

生霊の正体は自分の思い、記憶、記憶の二次的な産物です。
本来であれば、親の子供ならだれでもご両親から、愛されたいものです。愛されたいと天然に生まれながらもっている気持ちに対して、親御さんのDV。さぞかしおつらかったことであろうと思います。
今目の前に現実に動いているお父さんはいません。
いたとしても、自分の中でのお父さんへのイメージ、思い、先入観と!実際の現実のお父さんとでは実は大きな隔たりがあるものです。
そして、それは別物であると解釈してください。
ここにちゃんと目覚めれば、あなたは救われます。
なぜなら、あなたが生霊とよんでいるお父さんは、もうあなたの思いの中にしかいませんし、それは幻です。
その幻は、掴めません。襲っても来ません。実際に傷つけられたためしもありません。
自分の思いから自由になることが仏教の救いです。
良かったら禅を学んでみてください。
自分の思いの性質を知るには秘密FacebookページTOKYO禅がおススメです。
記事の更新はしていませんが、良かったら学んでみてください。
仏教と禅のエッセンスが盛り込まれているページです。
自分の思いから救われたければ、メッセージを添えてノックしてみてください。
私くらいにはなれるでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

邦元様、大慈様
回答ありがとうございます。
父親に対する恐怖、憎悪、罪悪感から自分で生き霊を作り出していたのかもしれません。
自宅のチャイムが鳴ったり、同年代の男性を街中で見かけると父親に見えて、心臓が絞めつけられるようです。
冷静に自分の思考を見つめていこうと思います。
ありがとうございました。

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