真の友人(昨日のハスノハにて)
カタチだけの友人なんていりません。
でも、今迄生きて来て カタチだけの友人も出来なかった気がします。
弱くて、頭も出来も、性格もわるい私からは、全ての人が離れていきます。そこから「ひとをはかる物差しでダメな私をはかる癖」がついてしまいました。私に真の友人なんて 一番求めてきたけど 、、、ずっと諦めてきました。
弱さやダメな人間はすぐに見下されます。今の会社でも、皆に嘲笑われて益々人に恐怖感が大きくなっています。
それが普通だと思い長年苦しんでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
蕾はつぼみの様子、花は花の様子で
諦めてきた。でも諦めきれてないから悩む。
本当に今のままの自分でいい。そのことがわかれば、自信が湧いてきます。人も自然とよってきます。
比較して、弱いとか性格悪いとか、対象を作ってはいけません。
あなたはあなた。そのままがあなた。
だからこそ、つかむ必要もなく満ち足りているでしょ。付属品なんていらないのです。
人は生まれながらに完璧です。たから、他に求める必要もないのです。笑顔になれる。人に優しくできる。話しかけられる。そうした力が人間にはあります。
境内のしだれ桜は今蕾も色づいていません。まだまだ咲きそうにありませんが、今の様子で完璧です。
ほかになにも求めていません^_^
春ですよ…さあ、行動始めましょう!
決め付けておられるようですね…世間も、友人も、そしてご自分も…。
私達は物事が良く分かっていないのです。しかし「私はよく知っている。わかっている」とつい誤解しているのです。これを煩悩と申します。皆、人間は煩悩を持った凡夫なのです。
良く分かっていないもの、事柄に対して下した判断が当たった試しはありません。
ならば、判断・結論は今はすべきではなく、後回しにした方が賢明です。
そして、為すべきことは、「ええい、もういいや!」という思いから、何かの行動を起こすことです。
ただ、それは食べ物や買い物、ギャンブルなど「喜び、楽しみが極めて受動的」なものではなく、御自身が主体となって始める「能動的」なことを行って頂きたいのです。
お彼岸の御中日です。お墓参りだって良いです。可能な限り歩きましょう、自転車漕ぎましょう。身体動かしましょう。
身体と心は一体です。心弱っていたら、身体鍛えることで「かなり何とかなる」ものです…実感しております。
ちょこっとの期間だけ、この「ハスノハ」ページから離れてみて、そして御自身の想うことやってみましょうよ…あなたの人生なのです。全部が全部人様の顔色伺い、お坊様のご意見伺って生きなくて良いんですよ。もちろん、私の回答も忘れるくらいに…さあ、行動始めてください。春なんですから!
瞬間瞬間ごとに苦しみから身を守る
野生動物の兄弟姉妹とかでも、おっぱいらエサの取り合いで負けてしまう者はいます。
そうすると、エサにありつけないから身体も大きくなれず、ますます他の兄弟姉妹より弱くなって負けてばかりになります。
たまたまスタートダッシュでつまづいたため、ずっと最後尾で走る場合もあります。
それが生き物の世界。人間でも同じです。
勝つ者がいれば負ける者もいます。
それが普通です。
生きることは、そのような苦しみと隣り合わせの生活なのです。
お釈迦様は、生きることは苦だと悟られたのです。
ですから、あなたが苦しみながら生きていることは、普通のことなのです。
ですから、苦しみがあることを嘆く必要はありません。
苦しいのが普通だと明確に理解して、受け入れましょう。
そして、色んな苦しみが襲ってくる毎日の中で、その都度その都度、目の前の苦しみから身を守っていれば生きていけるのだから、人生は思ったほど複雑ではないと、シンプルに考えましょう。
息を吸いたい苦しみが来たら息を吸い、息を吐きたい苦しみが来たら息を吐く。
それと同じです。
瞬間瞬間に、自分の身を守ることが第一です。
そして、それさえやっていれば生きてゆけます。
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございました!
諦めてないから悩む、自分の
人生なんだから何とかしたい前向きな気持ちはあります。(すみません、誤って投稿ボタンに触れてしまいました。)
「今日はダメだったけど明日こそは、」と、なのに中々這い上がれず格好悪くもがいてばかりの自分の姿をさらす姿が惨めになってしまい益々自分に嫌気がさしてしまいました。あまりにも愚かで滑稽で、、、嘲笑されっぱなしの毎日です。「ありのままの自分を認める」と、いうのは、そんな 最低な自分でも受け入れる、ふっとまたネガティブな気持ちが湧き上がってしまいました。
追記
改めて読み返し続けています。
「負けるひとのおかげで、勝てるんだよな」
相田みつをさんの詩を思い出しました。
どうして このような言葉が綴れるんだろうって今でも思っています。
>スタートダッシュでつまづいてしまったため 最後尾で走る まさしく私そのものです。この世は 弱肉強食な世の中なんですね。
いつか、苦しみが普通の事だと心から思える日が来るのだろうか。
人と支えあい、分かち合う、それだけを望んでいましたが
間違ってたのでしょうか。