運命・因果・前世・因縁
人の人生は、変えられない定めのような力が存在するのでしょうか?前世の罪の償いのためだけの今世を送る人もいるのでしょうか?
生まれた家庭は、母からの虐待、暴力、暴言で、人生の前半は逃れられない境遇でした。
社会人一年目の担当指導員は、部内で有名な典型的なお局上司に当たり、精神を壊しかけました。
その後は非正規雇用で転職の回数が多い中、明らかに人格障害のような異常性格者に絡まれる割合・確率が異常に高く、みえない呪いのような運命を疑わざるを得ません。
物事は捉え方次第と言われてしまうかもしれませんが、もちろん、逆にとても素敵な人達や、素晴らしい、温かい職場に出会えたこともあったことは自覚し、感謝もしているのです。
それでも、前世で何か大きな過ちを犯し、その償いの為に、もしくは怨念を背負った状態で、人生を送っているのなら、もうその覚悟を決めるので、
「その通り。あなたの人生はそういう人生なのだ」
と言い切って貰えたらどんなに楽かと思うのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去への囚われから脱出する
この世の中で起きることはすべてつながっています。そして運命も刻々と変化して行きます。もしあなたが変わらない定めのようなものを運命とおっしゃっているなら、運命はありません。前世があるかどうかはわかりませんが、過ぎ去ったことですので今から変えることは出来ません。過去を振り返り、悪いことの原因を前世と関連付けて考えることは勝手ですが、それですと改善に努力するという行為が無意味になってしまいます。
幼い時からあまりにもつらいことが多すぎて、現実の問題として受け止めることに心が拒否反応を起こしてしまい、防御反応として前世の責任にしてしまっているのだと思えます。仏教は今ある状態は過去に原因があるとして、その原因を解消していくことを目指します。ただしその原因が、自分がいくら努力してもどうにもならない問題である場合は、あるがまま受け止めることを勧めます。どうにもならない問題とは、自分自身の老化、病気、死などです。その原因は、自分がいのちを持ってこの世に生まれてきたことにあります。生まれた以上避けることの出来ないことなのです。年を取りたくないと思うと苦しみが増します。ですから、年を取るということを受け入れて、そのことでは悩まないという態度をとるのです。
あなたの生まれた家庭での人生の前半は、自分ではどうにもならないことでした。あなたの問題でもありましたが、あなたのお母さんの問題でもあります。でも社会人になってからは、自分の生き方が問われることになります。選択が難しい場面もありますが、最終的には自分が決断したことになります。他のものの責任にして逃避することは、余計に苦しむことになりかねません。
あなたは過去に囚われすぎていませんか?囚われるという文字を見て下さい。檻の中に住んでいるという意味です。囚われている限り、檻の中の人間としか関わることは出来ません。一日も早く囚われから脱出して、新たな人生を歩んで下さい。
質問者からのお礼
数ある質問の中から、このような漠然とした私の質問に目を留めて頂き、また御丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。関心を頂けている事、人の温かさに感謝致します。
“この世の中で起きることはすべてつながっている”
“今ある状態は過去に原因がある”
この言葉にとても救われたような気がします。無理やり大きく捉えれば、前世と今世の間での因果応報なのだと思えると、気持ちがとても楽になります。
母との事はさておいて、“今の私は私自身の責任である”事は、これまでにも何度も何度も言われてきました。そして私も人生に責任を負ってきたから今まだ生きているという自負も少なからずあります。
人生が全て苦しく陰鬱だったわけではありません。諦めも早く、楽観的で、無心や悟りの境地を自己流にアレンジして、変な人生だけど、と案外風流にやり過ごして参りましたが、それにしても次から次から、どうしてこうも異常な体験に巻き込まれるのだろうかと、やはり見えない力や、怨念や呪いのような物が存在するのだろうかと、考えずにはいられませんでした。ですが人間、この世に生まれてきた事自体が悩みと苦しみの始まりなのだという根本を忘れていたように思います。
改めて、色々と気付かせて頂き、ありがとうございました。