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お不動様の言う「悪い方向」、「正しい方向」って??

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 いつもお世話になっております。
今日、新しいお寺の道内案内に参加して、疑問がすっきり晴れました。「無職だから、障害持ちだから、弱いから救われない、寺に来てはいけないなんてことはない。境内歩ってるだけで坊主や寺務員に睨まれた?うちはそんな所じゃあないから、またいつでもいらっしゃい」お坊様から暖かいお言葉を頂きました。

 「お不動様は、私たちが悪い方向へ行きそうになった時に無理やり縛り上げてでも正しい方向に導いてくれる。目や牙が上下両方を向いているのは、上も下も差別なく救い導いてくださるという心の現れ」
 と教えてくださいました。ここでもそう教えを頂いております。

 さて、そこで疑問です。お不動様のおっしゃる「悪い、間違った方向」と「正しい道、方向」とは、どのようなものなのでしょうか。
 
 ご教授のほど、お願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「正しさ」には要注意

新しいお寺で素敵なご縁に恵まれてよかったですね。これからも共に学びを深めて参りましょう。

さて、「悪い、間違った方向」と「正しい道、方向」についてですが、私はお不動様の教えについて全く詳しくはないのですが、仏教でいう「善悪」とは世間の善悪とは違います。

正覚(さとり)や涅槃に近づく方向が善で、遠ざかる方向が悪と考えてよいかと思います。

そして気をつけなければいけないのは「正しい道、方向」に導いていただいたとしても「私が正しくなるわけではない」のです。
正しいのは仏であり、法です。私が「正しさ」を握りしめた時、その正しさには当てはまらない人は「正しくない人」になってしまいます。だれかが排除されるような正しさが本当の正しさであるはずがありません。

ですから、どこまでも私は法により「正しくない私の姿」を知らされるという形で正しい方向に向かっていくのだと思います。

悪を自覚しないものは自分を立てます。悪を自覚するものは法を聞きます。法を聞くところに「上も下も差別なく救い導かれる」世界が開かれてくるのでしょう。

合掌

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武 文法 先生
ご回答ありがとうございます。
仏教で言う善悪は世間の善悪とは違う。
そのお言葉を聞いて、本当に安心しました。
あの寺!あの坊主は、「強く指導された程度で学校や仕事をやめるのは、弱い人、そんな子どもを育てないように」の宣い、
寺務員や小僧はある時から急に、境内を歩く私をすれ違いざまに睨むようになりました。
本当に束の間でも疑問を抱きお尋ねして良かったと思っています。
あんな薄っぺらな教えじゃない、仏教は他を排斥するような教えじゃぁない、そう信じて疑わなかった事は正解でした!!

【吉武文法 先生】
さっきTwitterで、私の尊敬
する先生のご投稿を見たら、
先生と似たような事おっ
しゃってました。
「悪い人にも正義感の人にも、
両方に『クズ』が存在すると
思う。悪人とは自らの目的のため
邁進する人。正義感の人という
のは、社会秩序ありきの人。
その双方の中で、『自分を高める
のではなく他者を下げる』こと
を目的としている奴が、『クズ』」

吉武先生がおっしゃる、
「『私』が正しさを握ったとき、
それに当てはまらない人は
『正しくない人』として排除
されてしまう」
「誰かが排除される正しさは
正しさではない」
というお言葉に通じていると
思いました。

「正しくない私の姿を知らされる」
人は皆、自分の目的が第一です。
「自分は愚かな凡夫である」
と知る。そうすれば、人を見下す
気持ちは起きない。おそらく。

誰かを見下げたり排除したり
する正しさは、正しさではない。
互いに尊重し合い、かつ、自分
のするべきことをするのが大切
なのではと思います。

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