自分の愚かな行動の後始末について
あることが原因で私はとてもショックを受け、自傷行為をしてしまいました。家族や周囲の人がとても冷たく、承認欲求が強まりすぎたあまり私はツイッターのアカウント(フォロワーは知り合いのみ)に自傷の画像を間違えたふりをしてあげました。
そのツイートはすぐ消したのですが、私のことを嫌っていた先輩数人は見ていたらしく、裏垢で私のことを散々に罵っていました。
その内容は、「努力しなかったのが悪いくせに被害者ぶるな」「アカウントを間違えたのは嘘、慰めて欲しいだけだろ、気持ちが悪い」「メンヘラ死ね」「後輩のくせに先輩の私をいちいち不快にさせるな」「自傷行為とか理解ができない」などでした。いずれも正論ではあるのですがとても衝撃を受けました。
その人たちは、私が悪口を言われていることに気づいていないと思っています。
また、その人たちは私のツイッターを監視しています。
そこで、ブロックをすると角が立つし、アカウントを消すと仲のいい友達と連絡が取れなくなるし、そのままにしておいてもその人のツイートが流れてきて気分が悪くなるため、どうしようか迷っています。
また、自傷行為のツイートをほかの人が見ていたらどうしようとか考えるとどうしてもお腹が痛くなってしまいます。
ツイッターをどうすべきか、気持ちが落ち着くような考え方などを教えていただいたらありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愚かだから。
そこに気づいたの、良かったですね。
イヤ全く嫌味なく。そこに気づかない人は物凄く多いのです。
で、どのように愚かなのですか、あなたは?
そう。「ツイッターのおっそろしい可能性を知らなかった」という愚かさですね。
正直言いまして、子どもが使うものではないし、「勢いで〜の写真をアップしちゃう」ような、堪え性のない人が使いこなせるものじゃありません。
先輩たちからの罵倒、読んでいて、あまり大した事ないと思いますが、ただ1つ「努力してないのに…」だけは当たっているかもな、と思います。
そうなると、「あることが原因でとてもショック」というのが何だったのか?あなたを自傷行為に向かわせ、なお仕返しのようにアップさせてしまうほどのショックとは?
どうですか?「努力したのに十分でなかった」なのか「もっと出来たのにサボった」、これらは似ているけれど異なることです。そして実は、「自分で自分に下している評価」なのです。
承認欲求という言葉を知っているくらいですから、おバカさんじゃないのでしょう。そして、自分で自分を認めていない。自分はサボってきたと自覚している。
そんな背景を妄想してしまいます。私の受けた印象・空想ストーリーですから、外れていたら「ちげーよ」と捨ててください。
仏教では、苦しみの原因を「怒り・貪り・無知」とします。今回は「家族や周りの人への怒り・自分の傷ついたことを見せつけたいという貪り・ツイッターに載せることの意味についての無知」が揃っているように見えます。どこか一か所でも違っていれば、今とは異なる状況になったでしょうに。
私からの回答としては、
タフになりなよ。アカウントはそのままでも変更しても、どっちでも。
そもそも何があったか知りませんが、「私はとてもショックをうけ」…でもアップセットしなければまるで問題ないのです。よしんば先輩たちがギャースカ言ってきてもスルーすれば良いだけ。あなたがタフであれば。ヒットしてしまったのは、あなたに後ろめたさがあるからじゃないでしょうか。「気持ちが落ち着くような考え方」をご希望ですが、気持ちは考え方でどうにかなるものではありません。アップセット→投稿→後悔→削除、というのも「考え方」はポイントになっていないでしょう?
きちんとすべき事をするとか、真っ当に生きるというのは、タフになる事と同じなのですよ。
質問者からのお礼
怒り・貪り・無知のくだりが特に心に残りました。身にしみる回答ありがとうございました。