何ものにもなれず中途半端な自分に劣等感を抱いています
2歳の育児中です。子供は可愛いです。
夫は割と高収入で、育児にとても協力的です。私自身も働きやすい職場で仕事を続けています。
仕事が楽しいかと聞かれれば「まあ・・・普通」ですが、自分や子供の都合で休みが取りやすい、早退遅刻も大丈夫、という点で、環境がとてもいい職場です。
それだけで周囲から見れば十分幸せだと思います。私もそう思います。
でも私は満たされず、さみしい思いを常に抱えています。
一言で表すのは難しいですが、「ナニモノにもなれない自分」に、すごく劣等感を抱えています。
30代半ばくらいまではよく友人と集まっていましたが、それもほとんどなくなりました。
今年などは古い友人に新年会を企画しても、断られてしまい、その人のブログに「人付き合いは日々の生活につれて更新していくもの、
昔の付き合いにしがみつく必要なし」というようなことを書いてあったのにショックを受けてしまいました。
その友人はミュージシャンをしています。昔よく集まっていた仲間は、絵描きやイラストレーター、建築士として着実に力を付けてきていますし、
震災を機に海外に移住してもまだ仕事を多く受けているデザイナーもいます。
彼らを見ると、「ああ、40代は実りの時期なんだな」と実感します。
そういう、得意な分野がある友人達は、何処に行っても仲間を見つけ、友達を増やしていきます。
私の世界は縮んでいます。
「普通が一番、いまは子育てが私のメイン業務」と思っても、気休めにもなりません。
じゃあ仕事を頑張ろう・・・と思っても、私の育休前にバイトだった子が社員になり、存在感を増していて、前は年に2・3回行っていた海外出張も、当然のようにメンバーから外れています。
自分以外のみんなが充実しているように見えて苦しいです。
私はナニモノにもなれなかったし、
これからもナニモノにもなれないでしょう。
若い頃、打ち込める物を極めなかった自分、才能を磨いてこなかった自分に強烈な劣等感があります。
これからなにかに打ち込む?育児と仕事で、細切れの時間しかとれない私に出来ることって何???
毎日むなしいです。私みたいな人は、どうしたらいいですか?
欲望と執着
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
根をはる時期
桃花さん
あなたのお名前の桃の花は春に咲きます。桃の花は春に咲くために厳しい冬をじっと耐えてきたから、まだ寒い春の始めに花開くことができるのです。それぞれの花には、その花が咲くにふさわしい時期というのがあります。桃の花を夏に咲かすことはできません。桃の花が夏に咲くひまわりやあさがおをうらやましがることがあるでしょうか。
人間にもそういう時期というのがあります。
子育ての時期は根をはる時期です。いのちを育む時期です。自分の内面を深める時期です。しっかり根をはることができれば、その木は大きく成長します。
あなたの言うように子育て中は、表面的には世界は縮んでいるように見えるかもしれません。でも、人生でこの時期がもっとも大事なときです。いまは根をはるという地味な仕事をしっかりやるときです。いま、開花を迎えている他の人をうらやんでいたら本当に縮んでしまいます。
ナニモノにもなれない??
母親になれたあなたを強烈にうらやましいと感じる人はたくさんいます。
妻になれたあなたを強烈にうらやましいと感じる人もたくさんいます。
そういう人にあなたはなんといえるでしょう・・・。
あなたはナニモノになりたいのでしょうか。
好きなようにできるといったらナニモノになるのでしょうか。
いまをしっかり生きることです。そうすればふさわしい時期がくれば花を咲かすことができます。たくさんの恵まれた条件のなかで、根をはり深めることができる自分の環境に感謝の気持ちをもって「いま」を生きてください。仙如
肩書きより大切なもの
あなたは肩書きが欲しいのでしょうか?お仕事をしてお子さんもいる。立派に主婦としての仕事もいている。それは人と比べたら劣っているのですか?
子供を育てるということはとても尊いことだと思います。そのために、全てを注ぎ込むそんな生き方は誰にも劣ることはないです。世の中で立派と言われる仕事をしていることが価値のあること?
大切なことは、それぞれの生き方の中で幸せを感じられる事。人に認められるとか、比較してどうとか、そこに価値を置いていては、自分の欲望を満足させるまで苦しみ続けることになるのでしょう。
救いは、あなたの価値観を重要視することのなかにはありません。そうした是非、善悪、損得、好き嫌いといった人間の考え以前の事実を大切にすることです。
友達がミュージシャンになり、建築士となりイラストレーターとなった。それだけ。問題ないでしょう。あなたには関係のない話。
会社で海外出張に自分以外の人が行った。何の問題もないでしょう。ただそれだけの話。
そうしてご自分の気持ちを手放し、それより事実を大切にして生きることが救いの道です。仏道です。救いはあなたの足元にあるのですよ。
質問者からのお礼
仙如様、邦元様
ご回答ありがとうございました。
「いま、開花を迎えている他の人をうらやんでいたら本当に縮んでしまいます。」
ヒントを得られたような気がします。
私はいったいナニモノになりたいのでしょうか。
ナニモノにもなれるとしたら、いったい何になりたいのでしょうか。
私は恵まれています。
私のことをうらやましく思う人も多いと思います。
でも私は、結局は得られない、「私は理想の女性」という絵ばかり眺めてため息をついています。
なぜもっと事実に根ざした生き方ができないのでしょうか。
なぜもっと足下の事実をみつめて生きられないのでしょうか。
もっと楽に生きたい。
ここでいただいたコメントを、もっと身にしみこませられる、素直な生き方がしたいです。