母の事です。
27年7月12日に亡くなった私の母は認知症でした。
認知症になったと思われるのは7年前位に遡ります。
なんか母がおかしい?と思い始めてからと
いうものの、母は私にケンカを仕掛けてきて、
口論が絶えませんでした。
2年前、認知症が酷くなり、精神病院~老人ホーム
に移りましたが、帰宅願望が全く無く、ホームが
一番だと言っておりました。
家に帰りたくない。それは私が原因だったようです。
私の知り合いに聞いたところでは、17年前に
二世帯住宅を建てる話が出た時、母は内心、
私と暮らすのは嫌だったのだそうです。
その話を聞いたのは亡くなる1ヶ月前の事です。
その時はまさか亡くなるとは夢にも思って
いませんでしたので、当時、目一杯、母の事で
走り回っていた私はとても虚しくなって
しまいました。
ですので、母が亡くなっても感情が沸かず、
葬儀はとても質素なものでした。
母の兄と姉とは絶縁状態でしたので、
私と姉の家族だけのが参列の寂しい葬儀でした。
戒名は葬儀屋の紹介のお寺で授けて頂きましたが、
遺骨は火葬場にすべてお任せしてしまって
引取りを拒否した格好になってしまいました。
私の姉も母に普通の親子の感情がない人ですので、
全く我関せずという感じで、
別にいいんじゃない?と言ったきりでした。
私は、ただ単に、遺骨になっても我が家に
帰りたくないのでは?と思っただけです。
それだけ頑固に帰宅を嫌がっていたのです。
ですが、今更なのですが、本当に今更
なのですが、後悔しています。
母の死から、たった6日後に亡くなった
父の葬儀は生前の意思があったので
普通のものにしました。父の兄弟姉妹も
葬儀に参列してくれました。
まだ祭壇に祀ってある父と母。
父の遺骨はあるのに、母のは無い。
あるのは白木位牌だけ。直後は後悔しないと
思っていたのですが、時間が経つにつれて
可哀想になってきてしまいました。
ですが、法要はきちんとやっていくつもりでいます。
気持ちだけで母は成仏できますでしょうか?
遺骨は無縁仏同様にしてしまったとしても。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
基本的には成仏するしないは本人の問題
母上が成仏するしないは、基本的に母上が存命中に何をなさっていたか、いなかったかで決まります。追善供養といってその人の中陰(四十九日)の間に縁のある人々が善を追加するために多くの僧侶や衆生に供養するという考え方もあります。しかし、その人の来世は基本的にはその人個人の問題です。
私の宗旨である浄土真宗では阿弥陀如来の救いにお任せすることで成仏させていただくことになりますが、この場合もご家族がどうなさるかは無関係です。
あとはあなたと姉上が母上と自分との関係をどう捉えていくかという問題です。母上がご存命の間、関係がいま一つであったらなら、せめて今は母上を大切に思い、その気持ちを法事やお墓参り、その他で表し続けてください。そうなさることであなたが救われると思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
母は母なりに父方の祖父(私から見た時)の
仏壇を大切にしてきました。
母の遺骨はとても真っ白くてきれいで、
感動しました。
なのに私は、なんという事をして
しまったんだ・・・と思うと、
堪らなくなってしまったのです。
ご回答で救われました。
これから先、私は母を父同様に、大切に
想っていきたいと思います。
姉は線香を上げに来ることも無く、
何とも想っていないようですが。。。