姉への申し訳なさと自己嫌悪
今年から高校生になったのでその機会にと、ふと自分を見つめ直してみました。
色々と考えていくうちに、私が中学2年のころに、姉との喧嘩の腹いせに、私の同級生に姉の悪口を言っていたことを思い出しました。それもまた、根も葉もない嘘の内容を含むものでした。(姉は勉強に一生懸命打ち込んでいたのにもかかわらず、あの女はビッチだ、彼氏をとっかえひっかえしている等)
そのことを思い出して、私に親切にしてくれている人になんてことをしてしまったのだろうかという罪悪感で胸がいっぱいになりました。人としてやってはいけないことをやってしまった罪悪感と、それが姉本人に伝わってしまったらどうしようかという不安でどうしようもありません。
最近はずっと「人として最低のことをした私は生きている資格がない、楽しむことは許されない」という意識があり、新しくできた友達と話すことができなくなってきました。
今日は自己嫌悪が酷く、「私は生きる価値のない人間だ、早く死んだほうがいい」と考えていました。でも自殺するほどの度胸もない自分がますます嫌いになりました。
今は色々な感情がまじって自分が何をしたいのか、何をするべきなのかがわかりません。助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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罪を引き受けてしっかり生きる
高砂さん
あなたのご相談を読んでいたら、私自身の小学生の時の似たような悪事を思い出してしまいました。生きていれば誰でも人には言えないような悪事はしているものです。それだからいいというわけではありません。悪いことは悪いので「反省・懺悔」します。 そして「もう致しません」と誓うのです。
自分の成した悪いことは、自分で背負っていかなくてはいけません。現に私は何十年もたっても、こうしたきっかけで自分の成した悪事を思い出すのです。「あの時はずいぶん酷い悪いことをしたな~」「あの子はあの時のこと覚えているかな・・・」と、ときどき思い出します。
もし過去の悪事に対して罪悪感をもって「人として最低のことをした私は生きている資格がない、価値がない」と思ったとして、傷つけた相手に何かしてあげることになりますか?謝ったことになりますか?それにより罪は償えますか? 仮に、私が自殺しても傷つけた相手の心をなかったことにできません。自殺してもそれは贖罪ではなく自己満足です。罪悪感は自分のことしか考えていない感情です。
自殺する度胸なんて必要ありません。何をすべきか、それは自分の罪を引き受けてしっかり生きていくことです。私のように何十年たっても思い出すことになるかもしれません。その覚悟をもって生きていくことが償いになります。自己嫌悪して死ぬことではありません。
姉妹なので、今後の人生の中で謝る機会もあるかもしれません。そのまま心の中にしまっておいたとしても、何かの折にお姉さんのために何かしてあげられることもあるでしょう。心の中で「ごめんなさい」と思いながら、精一杯してあげてください。そして、人の見えないところで善行をしてください。隠れたところでそっと行うのです。自己嫌悪は何も生みだしませんが、隠れた善行は他のためになり、あなた自身のためになります。
高校生になったばかりで、こうして自分を内省できるあなたは、人として立派です。そのまじめでまっすぐな気持ちを大切にしてください。あなたは価値のある人です。仙如
質問者からのお礼
>自己嫌悪は何も生み出せませんが、隠れた善行は他のためになり、あなた自身のためになります。
そうですね。姉にはこのことを黙っておくとしても、これから彼女に「ごめんなさい」と思いながら手助けをしたり、大人になってこのことを思い出して反省したり、自己嫌悪ではなく自分にできることをしようと思いました。
最後の文を読んで涙腺が緩みました。
本当にご回答ありがとうございました。