産みたいのか育てたいのか分かりません。
いつも心に響く優しいお言葉をいただき、ありがとうございます。
結婚した翌年から不妊治療を始めて、既に5年目となりました。
体外受精を幾度も繰り返していますが、未だ妊娠は出来ていません。着床しても初期流産し、最近ではまともな卵子すら採れなくなってきています。
結婚してから両親が立て続けに病気で亡くなったりしたので、環境の変化も必要かと仕事を辞め、今は主人の両親と同居しています。
また、長らく妊娠出来ないので、最近では「第三者からの卵子提供」と「特別養子縁組」も夫婦で検討するようになりました。
この2つの選択を視野に入れてから「こんな不具な私でも母親になれるかもしれない」という安らかな気持ちと「私はやはり自らの遺伝子を分けた子を産みたいのだ」という迷いとでとても複雑な心地になります。
そこについ先日、私と同年同日に結婚した友人から「授かりました」と連絡がありました。旦那さんが単身赴任から帰ってきて、子作りを始めたらすぐ出来たそうです。
彼女に「おめでとう」と言いながらも「自分の卵子を諦めようとしている矢先に『授かりました』という言葉は何とも惨めなものだなあ」と悲しくなりました。私には『授かる資格は無い』という事なんだな、と痛感した瞬間だったからです。
と、同時に私は「やはり自分の血を分けた子を産めるなら産みたいのだ」と気付きました。
しかし、子を産む事に固執しなくとも育ての母にはなれるという気持ちもあります。
私は子どもが欲しいし、主人を父親にさせてあげたいのです。
こういう曖昧な気持ちを持ったままで特別養子縁組を選択肢に入れるのは間違いなのでしょうか。
こんな気持ちの私にはやはり母になる資格はないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
二人で出した結論が、大事。
そんなことないよ。子どもを授かりたい、親になりたい、と思う気持ちに、資格なんてないのだから。あなたが、あらゆる形で、親になる人生を描くことに、誰が否定なんてできますか。
望んで当然だと思いますよ。
ただね、親になることは、出産をする女性だけの責任ではないということ。あなただけが、私の役割なのに、と負い目を感じる必要はないのですよ。
卵子提供も養子縁組も、素晴らしいことだと思います。それで、得られる幸せもあるでしょう。
夫と、じっくり話し合われるのが良いと思います。二人で出した結論が、何よりですもの◎
そして、別の道があったっていい◎
それも、あなたの生き方ですものね(*^^*)