ペットの死
1ヶ月前に子供のように育ててた愛犬(11才)が病院で突然亡くなりました。峠はこえたからと言われていつ帰って来るのかな?と楽しみに待ってたのに、病院から電話があり、朝みたら亡くなってましたと、言われました。
亡くなるなら家でみとりたかったと後悔ばかりで、毎日、息苦しいです。
毎日、お骨にお水をあげて、お線香をたいててもむなしくて仕方ありません。
家にいても、あの子の気配も感じません。
あの子を生き甲斐にして生きてきた私は、どうしたら前を向いて歩いていけるでしょうか?
よろしくお願いします。
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ガマンせずその子を想って下さい。
命というものは、いつ尽きるか分かりませんね。
まずは、わんこちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。
最期を看取れなかった事は、悲しく罪悪感を感じますが、最期を看取れたとしてもそれはそれで、何もできなかった申し訳なさと、悲痛な想いが頭を巡ります。
11年の愛犬との生活、急にいなくなってしまうと、ご自身の生活のリズムが変わってしまいますね。
朝夕の散歩がもうできない。
わんこのごはんの時間がぽっかり空いてしまう。
家に帰っても、そこは静まり返った世界。
何よりも触れたい、目を見つめたい....
夢でもいいから出てきて欲しい。
存在だけでいい。
想いは尽きないと思います。
想いは初七日、四十九日、百か日の区切りごとに変化します。
私の寺の数え方でいくと、初七日は命日の5日後、四十九日はそれから6週間後、百か日はさらに7週プラス2日後です。
区切りの日は、お花を供え、入念に手を合わせて下さい。
また、わんこはあなたが悲嘆に暮れているのを心配しています。
わんこさんは、「もう悲しまなくていいから、11年間ありがとう、楽しかったよ」と訴えています。
今は自然に沸き起こる感情に身を委ねて下さい。
ただ、区切りごとに気持ちが変化します。
これもあの子のおかげだなと、思えるようになれればいいのですが....
たった11年間でしたが、お互い幸せな時間を過ごされたのです。
今、そのような事を考えても胸が詰まりますね。
しかし、必ず人生の良きパートナーだった、その子によって満たされた自分は幸せだったと感じる日が来ます。
どうかそれまでは、ガマンせず今の感情と向き合って下さい。
悲しくて苦しくて当たり前なのですから。
その想いを伝えてあげてください
ゆう様こんにちは、お子様同然の愛犬さんが亡くなられましたか、本当にお哀しみ深いことと思います、愛犬さんのためにお念仏申し上げます。数日前にも同じようなご質問に書かせていただきましたが内の犬も11年目ですがまもなくだと思います、薬でやっと生きながらえてる状態いです。前にも15年で愛犬がガンで亡くなりました。命あるもの別れが来ることは避けえぬものですが、辛いですよね、心に穴が開きますよね。それを承知の上で私達は共に時間を過ごしているわけですが、それでも哀しいですよね。愛犬さんはゆう様の子として確かに11年の年月を幸せに過ごしてこられたこと、そして多くの思い出をゆう様に残し、託して行かれた(忘れないでね)と思います。愛犬さんはあなたがその命が仏さまのお国に生まれ変わってくださることを阿弥陀如来様に祈られるなら必ずその祈りのもと仏さまに導かれそのお国に生まれ変わられます。そしてあなたを見守り続けてくれます。ですからあなたはどうぞその愛犬さんへの想いを語りかけてください。その言葉は届いておりますから、むなしくはありません。そしてその思い出を大切にお持ちください。そして共に生きて行ってください。南無阿弥陀仏