15年以上前の野良猫への心苦しさ回答受付中
15年ほど前、私は近所の野良猫に餌をあげてました。私は小学校6年生〜中学生くらいでした。日に日に少しずつ距離が近くなっていきましたが、絶対に触らせてくれない猫でした。それでも、家の前に来れば餌をやり続けていました。ある時、兄も餌をやるようになりました。兄は動物に対して愛情を持って接することができません。面白半分で餌をやっていました。ある時、兄の猫に対しての態度に私が怒り、大喧嘩になりました。窓が空いていたので隣の家まで聞こえたのでしょう。次の日、隣の家の奥さんが家に来ました。その家は猫が大嫌いな家でした。猫の糞で困っているので餌をあげないでください、と言われました。母が対応しました。家族から餌をやらないようにと言われました。いつものように鳴いてきても、餌をあげませんでした。その後のことですが、猫は車に轢かれて、亡くなってしまいました。ある朝、家の向かいに頭を打ったのか、亡骸が静かにあったのを覚えています。私は泣きました。15年前の話ですが、今でもふと思い出し、あの時、兄が余計なことしなければよかったのにと思います。いつものように餌をもらいに来てくれたのに、私はなんてひどいことをしてしまったんでしょうか。あの時の10代の私は家族の言うことに従うしかありませんでした。そんなこと言われても、一匹の命がそこにあることに変わりはないのに。15年以上経った今も心が痛み苦しくなります。餌を与えなくなってから死んでしまうまでの記憶が曖昧ですが、私の家の近所に猫好きな方がいて、その方も餌をあげていたような記憶もあります。しかし、その方は猫を何匹も飼っているので、上手に餌をもらえてなかった可能性もあります。とにかく、私がした過ちは確かにあり、それを変えることができません。野良猫の死を見てから、私は高校生になり、一匹の犬を飼いました。とても可愛がり大事にしました。そして先日老衰で亡くなりました。数日間、犬のことをひとしきりに思い泣きました。そして落ち着いた今、再び中学生の頃のあの猫のことを思い出しました。節目節目にこれからも思い出し苦しくなるのですか。私はどうしたらいいでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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今を大切に生きることこそが、見送った命に対する一番の供養です
ご相談ありがとうございます。15年以上もの間、そして愛犬を見送られた今もなお、ご自身を責め続けるお心の内、どれほどお辛かったことでしょう。
まずお伝えしたいのは、当時のあなたは決して「過ち」を犯したわけではないということです。子どもであったあなたが、ご家族の言葉に従わざるを得なかったのは当然のことです。野良猫への餌やりが善か悪かという議論もありますが、あの時、あなたがその小さな命に寄り添い、純粋な愛情を向けていた事実は決して色褪せません。どうか、ご自身を責めないでください。
仏教の教えに照らせば、猫も犬も、美しく咲く花も、そして私たち人間の命も、等しくいつかは終わりを迎えます。命あるものはすべて、縁あってこの世に生まれ、縁が尽きれば去っていくのです。
命に必ず終わりがあるからこそ、残された私たちがなすべきことは、過去の自分を罰することではなく、与えられた命を大切に「今を生きる」ことです。あなたが彼らに注いだ優しい眼差しを、どうかこれからはご自身の「今」に向けてあげてください。過去を許し、今を大切に生きることこそが、見送った命に対する一番の供養になるのだと思います。
拝
縁起寺 釋聴法



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