子どもがなかなか 授からない
こんにちは、 私は、不妊治療して約三年立ちます、なかなか授からないのは糖尿が原因です。今内科分泌かにかかり、治療中ですが、夫と話し児童相談所で相談して、里親登録をしました。でも糖尿があることで、児童相談所ではなかなか紹介が難しいとゆわれ、わたしの選択肢が無いようにおもえて、なりません。 辛い人生です。こどもが授からないのは もう 生きてても意味がないのかなとおもいました。何時も泣いてます。
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なかなか難しいですね
私たち夫婦は不妊治療を末、七年目に第一子を授かりました。半分あきらめていたので、少しだけお気持ちが分かるようにも思います。また坊さんであるため里親制度についてもある程度は知っているつもりですが、なかなか難しいのではないかと思います。もう少し基準が緩やかになればよいのですが、お子さんのためを考えるとそうなのかなぁ、とも思っています。
まだ子供が授かっていなかったとき、京都でタクシーに乗り運転手さんと話していると、同じくお子さんがない方でした。同志社大学の近くにお住まいだそうで、ずっと外国からの留学生のホストファミリーをなさっているとのことでした。それを聞いて私たちもそうしてみようかと家内と話したことを思い出します。
自分は今は子供があるので言えるのかもしれませんが、お経のなかに子がなければないことに憂え、子があれば子に憂えるという言葉があります。その通りだとも思います。
それから、これは大事だなぁと思うことがあります。人間は誰しも何か問題があると、「これさえなければ」と考えがちです。あるときご主人が末期ガンの女性から、特殊なお祈りをすれば主人が治ると聞いたのですが、とご相談を受けました。私は、お祈りすれば治るということがあってはいけないのではないでしょうかといいました。続けて、今はご主人の病気のことさえ解決すれば、とお考えでしょうが、後になればまた別の問題に苦しむのではないでしょうかと申しました。ご主人がなくなった後、遺産相続の問題でひどく苦しまれることになり、私が申した通りだとおっしゃっていました。
お子さんがない方がそのことで苦しまれることは少しだけ理解できます。しかし、子供さえいれば、とお考えになるのは間違いではないでしょうか。生きているということにはずっとなにがしかの苦がつきまとうと仏教では教えています。しかし、その「普遍的な」苦をこえる道があるとお釈迦さまは教えてくださいます。お子さんがないことをご縁にして仏法を聞く幸せを求めてみては如何でしょう。
質問者からのお礼
有り難う御座います。