失態を繰り返しても見本となれるお坊さんの強さの秘訣
ふと考え付いたのですが
お坊さんは誰にも言えないレベルでやっちゃった過去とかあるのでしょうか?
清廉潔白で穢れを知らぬ(大袈裟)お坊さんが「いやそれアカンでしょ」な過去があるとは想像出来ません
【一例】
学生の頃コッソリ親のお金をくすねた、
借りパクになってて返せない..等
お坊さんは物心つく前からシッカリと親に教育され、道を踏み外す経験が無い様に思えます
道を踏み外し警察にお世話になったり学校や家族から勘当されたり(一部ですが)思い出すと顔が熱くなる、真っ青になる経験有りますか?
上記の似たような経験をされたお坊さんが語る後悔のしない生き方、気持ちの整理の仕方等があれば聞きたいですし、過ちを犯したのにも関わらず
「前を向ける様になった」のは何がきっかけですか?親..仏様..友人、様々な理由があると思います。言われて立ち上がれた言葉でも..!
私は数え切れない程、大小様々な罪を重ねていますし人の見本となる生き方が出来ません、罪を犯した私なんかと自虐し生きるのも前を向くのも辛い中、お坊さんでも同じ気持ちになった事があるのかと思いました。
(「人の見本」になりたいですし雑念を捨て「人の心を満たす」優しい人物を目指したいです)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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煩悩即菩提
どこの宗派でも一緒だろうけれど、禅宗は基本「来るものは拒まず」です。
私は小僧として禅寺で修行していた頃、交通事故で人を死なせてしまった人や、ドラッグ中毒で捕まって、更正活動中の人なんかと一緒に暮らしたことがあります。
まあ、その方達は出家得度することはありませんでしたけど。
ひとり、元ヤ○ザでお坊さんになった人を知っていますよ。
やらかしてしまった経験から、深い後悔の念を胸に抱えた人だからこそ、救いを求める気持ちが強くなるのでしょうね。
ただ、どれほど過酷な修行を積んでも、真に心の安らぎを得られるかどうかは本人次第。
特に、人をあやめてしまったような人は・・・ねぇ。
悩んだり、苦しんだりする(煩悩)ところから「菩提」(さとり)への道は始まります。
それが煩悩即菩提ということ。
どんな過去があろうと、真摯に修行を重ねた人は思慮深く、慎みある言葉と行動を忘れません。
ならば、そういう人はきっと人から尊敬される人になるでしょう。
はなこさんは人の見本になりたいとのことですが、それもまた煩悩といえるかもしれませんよ、その考え方そのものが雑念じゃないかな?
本当に人から尊敬される人は、尊敬されたいと思っちゃいない、そんなもんです。
古い経典のことば
「過ぎ去った日のことは悔いず
まだこない未来にはあこがれず
取り越し苦労をせず
現在を大切に踏みしめてゆけば
身も心も健やかになる」
高望みはせず、今自分にできることをがんばれば、それでいいんだよ。
質問者からのお礼
私生活でゴタゴタが続きお礼が遅れました、有り難いお言葉本当心に染み入ります。
元々自己評価が低く自信が無い性格でしたので憧れが強く出過ぎてしまいましたが今の自分で出来る事をしていこうと思います。
優しいお言葉本当にありがとうございました。