罪悪感が拭えず苦しいです
以前こちらで、ペットと後悔のある死別をしたことで相談させていただきました。
その時は、ありがたいお答えをいただき、前向きに生きていこうと思ったのですが、
その後、日に日に酷いことをして申し訳ないという罪悪感と後悔が強まってきて、胸が苦しくて
息ができないような状態が続いています。
かわいい子供のために、頑張ろうと振舞いますが、子供が愛しい、可愛いと思う度に
罪悪感も同時に沸き起こり、苦しいです。
自分が幸せな瞬間に、違和感を感じます。幸せになってはいけない気がします。
主人には、いつもと様子が違うことは気づかれていると思います。
耐えきれず深酒をしてしまったりします。
そのせいか、考えすぎのせいか、胃の痛みが起こるようになりました。
自分の罪、まさに自業自得で、今罰を受けているのだと思います。
家族に迷惑をかけては申し訳ないと思いつつ、自分の辛さをコントロールできません。
自分のことにいっぱいいっぱいで過ちを犯したのに、また同じことをするのかと、
甘えるなと、自分を叱責するのですが、胸が苦しく体から力が抜けていく感じから
逃れられません。
罪人が幸せになることを許されるためにはどうしたらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
猫の最後のお教え
nanaさんこんばんは、前回のご質問に対し吉武文法上人が回答されましたとおりであると申し上げます。猫との縁にて教えてもらった命の大切さを心に刻み生きていくことが大切、そのものだと思います。ただそれでも我が子との幸せの時、死んでしまった猫とのことが頭によぎり幸せが申し訳ないのですね。猫の命を軽んじてしまったとの後悔が消えないのですね。猫の命の犠牲の上にお子さんとの幸せが成り立っているとのお考えですね。でもね、ただ苦しむだけでは猫の命は無駄になりませんか?実はあなたの命自体が毎日の食料という名の野菜や魚や豚等の命の犠牲の上に成り立っていませんか?私達は哀しいことですが誰もが日々多くの命を頂いて生きる事が許されているのです。ある意味猫もそうでした、猫は生きることが許された対価として最後にあなたに全ての生きるものの命の大切さを伝えようとしました。罪を懺悔するすることは大切です、でも更に大切なのはそこから更に学び一歩進むことです。お子様の笑顔はまた別のかたちであなたに命の大切さを教えてくれています。阿弥陀如来は自分の犯した罪の自覚なき者より、自分の犯した罪を懺悔する者をより救われようとしてくださいます。猫の最後のお教えを無駄にしないでください。南無阿弥陀仏
そのコと共に
拝読させて頂きました。あなたはそのコに対する自分の思いや行いを深く後悔なさっておられてその己れの罪に深く苦しんでおられるのですね。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
人間は有限ですから今できることできないことがあります。そして生きていく為には優先順位をつけてものごとを為さねばなりません、その時その時判断していかなければならないのです。
ですからそう対応なさったことはやむを得ないことです。
とはいえあなたの心には深く後悔の念が湧いていらっしゃるでしょう。
それならばあなたがしてあげられなかったことについて誠心誠意反省して深く懺悔なさってください。そしてそうすることができなかったことを心からそのコに謝ってくださいね。
そして真心込めてそのコをご供養なさってくださいね。
そのコが必ず仏様に導かれて仏様のもとで苦しみなく安心してくださいますよう心を込めて仏様にお願いなさってくださいね。
私もそのコが仏様にお導き受けますようにと仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
必ず仏様はそのコを導いてくださいます。そしてそのコは安らぎ安心してご成仏なさいます。
そしてあなたを許してくださいます。同時にあなたをこれからも見守り続けてくださいます。
あなたとそのコの絆はこれからも続くのですからね。
あなたは今あなたのやるべきことにどうかしっかりとなさってくださいね。
あなたの罪は許されるのです。
いつの日にかあなたがその生命を全うなさる時が参ります。その時には必ず仏様に導かれて仏様のもとでそのコに再会なさるでしょう、そして再会を共に喜び合うことでしょう。
それまではそのコにどうか見守っていてくださいね、と願いながら合間合間にご供養なさってくださいね!
罪を犯した人でも幸せになることは許されますし、その幸せを振り向けることはできるのです。
どうかこれからもそのコと共に生きてください。そして皆さん共に幸せになってくださいね!
あなたがこれからもそのコと共にご家族に皆さんと仲良くお健やかにご成長なさってくださいますように心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
お忙しい中、ありがたいお答えを頂いたにもかかわらず、お礼が遅くなり大変失礼をいたしました。
お言葉、何度も読ませていただきました。ありがとうございました。
少しでも前向きになれた気持ちを添えて、お礼をしたいと思っていたのですが、一向にそういう気持ちになれず、今でも後悔ばかりして過ごしています。
kousyo Kuuuo Azuma 様
私の後悔と反省の気持ちを深く汲み取っていただき、ありがとうございます。
おっしゃられる通るやむを得ないこと…そう思おうとしましたが、やはりもっと何かできたはず、大事な者に辛い思いを強いて平気だった当時の鬼のような自分のことが信じられず悔やまれてなりません。
毎朝お線香をあげ、南無阿弥陀と唱えて冥福を祈っています。
お坊様のおっしゃられる通り、仏様のところへ導かれ安らぎ、私を見守ってくれていたらどんなにいいだろう。
また再開できたらどんなにか幸せだろう。
心から願いながらも信心が足りず、心休まりません。
日々些細なことでも善行を心がけ、寄付をしたりして償おうとしていますが苦しみは続きます。
仏様を身近に感じ、信心を深めるにはどうしたらいいでしょう?
小さな子供がいて出家などは考えられませんが、何か仏様を知る書物など読むと信心が深められるでしょうか?
この度は私な大事なコのためにお念仏していただき、ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。
憲章様
幸せが申し訳ない、犠牲の上の幸せを享受できない、といった私も気持ちをお汲み取りいただき感謝いたします。
確かに猫は私に教えてくれました。
命には限りがあり、時間が有限であることを。命を粗末に扱うことが決して許されることではないことを。
生前そのことに全く気付けず鬼のように過ごして、今になってこんなに苦しむのは罰なのではないか?
苦しむべきなのではないか?とも思ってしまっています。
しかし、仰る通り、まだ生きていかなければいけない上で、これを学びにしなければ猫の命が無駄になってしまいますね。
どうかもう過ちを犯さぬよう、悔いのないよう生きていこうと思います。
罪におののく私を、どうかどうか阿弥陀如来様がお救いくださいますよう、心からお祈りします。
この度はご丁寧にお答えいただきありがとうございました。