心が弱いです
先日、猫を亡くしました。
事故ですが、まだ半年たらずでした。
猫が亡くなってから1ヶ月がたちましたが、
毎日餌と水を変えて遺骨に話しかけてます。
後悔と悲しみは消えず、けど現実を受け入れなくちゃと言いきかせながら生活してます。
仕事にも、以前と同じように明るく勤められるようになってきました。
自分が弱いと感じるのが、
何人かの友人に猫が死んでしまった事を話したのですが、
後日、話した友人に会った時に、友人の対応がいつもと変わらず、
キツイ子はいつも通りきつくあたってきたり、
自分の話が好きな子は自分の近況を話してきて、
拍子抜けしてしまいました。
そして、どこかで、自分は気を使ってもらえると思っていた事に気づいて恥ずかしくなりました。
他人の顔色なんて気にしたくないのに、
自分の浅ましさを痛感してます。
こんな弱い自分だから、きちんと猫にも気を配らなかったのではと考えたり、
それは関係ないし、責任転嫁だから考えるのはよそうと思ったり、頭がグルグルしてます。疲れて眠る毎日です。
猫が死んでしまった時は、
こんなに悲しくて辛いことはあるのか!と落ち込んでいたのに、
1ヶ月たって人の反応で杞憂する自分が情けないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えすぎない
事実は事実として、ありのままに受け入れるしかないよね。
愛猫がお亡くなりになって、辛いのも事実。
けれどあなた以外の他人にとって、それは他人事なのも事実。
他人の顔色云々とか、自分の浅ましさ云々とか、自分の心の弱さ云々とか言ってるのは、全部あなたの中の妄想でしかない。
それは事実じゃないんだ。
心の中のモヤモヤって、気にしなければいつの間にか消えている、そんなもんですよ。
いつまでも気にしているから、いつまでも消えないんだ。
結局はあなた自身の心のありようひとつなのだ。
どこかで「ああ、ちょっと考えすぎてるな、執着しちゃっているな」と気づこう。
そのために自分なりの「心の切り替えポイント」を作ろう。
ちなみに私の切り替えポイントは「ももクロの歌を聴く」かなww
人は人ですから
拝読させて頂きました。
猫ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。そのコが仏様のお導きをお受けなさり仏様のもとにて安らかになられますようにお祈り申し上げます。
あなたにはそのコは本当に大切な存在でしょう、そのコが亡くなったことは本当に辛く悲しいことかと思います。
ですからあなたはあなたの思うとおりにそのコへの思いを供養としてそのコにお向き合い頂ければ良いと思います。
よく私のお葬式をお勤めしますが、その際に一般の方々で参列した後、さもなにごともなかったかのように普通に大きな声でおしゃべりして笑い声が聞こえてきたりします。ただそれはやむを得ないことです。全ての方々がその悲しみにおちているかと言えばそうではありませんからね。人それぞれに自分の生活が優先しますからある程度やむを得ないことです。
ですから人は人、自分は自分と割り切りましょう。
世の中そうして回っておりますからね。
あなたは素直なお気持ちでこれからもそのコに向き合い、真心込めてご供養なさってください。あなたのその思いは必ずそのコに届きます、そしてそのコはいついかなる時もあなたをお見守りなさってくださることでしょう。