生きるとは儚い命の尊さ
小生、40年余りの時間を過ぎ行き色々な出来事という壁に向き合った時に萎え、何のために生きるのか感じることが今もなおあります。
故郷でありながら殆ど友人がいなく孤独感、不安に押しつぶれそうになり、一つの壁を乗り越えても新たな壁があり自分にも嫌気を痛感することも、いつの間にか早朝に自宅近くの川沿いを歩きながら風景を携帯電話をカメラを使い撮してみたり植物を撮してみたり今の私のなかで「心の支え 」健康面に向き合い「楽になりたい
」と考えた時期もありました。時おり思うことは「そんなに永く生きれないのでは?」と感じることがあります。
「どのくらい生きられるか誰にも解りません」今の私には「ご飯を食べて美味しい、お花が綺麗だな」など何気ない時間をSNSを通じて発信を重ね「支え」を大切にして過ごしてるのでは。
「生きたいという意志」「もがき苦しみ」「命の尊さを自ら体験」これらを大切に生きてゆくこと。生きてる儚さであり命の尊さなのかも知れません。孤独感と萎え自分を見失うこともあります、何気ない優しさだったり些細な幸せが幸せなのかも知れませんね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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声に出して読んでほしい。
こんばんは。私は遠く東京の空の下ですが、同世代であることもあり、何かシンパシーを感じます。一方的ですみませんが。
なので、一方的ではありますが、私が世界で一番好きな一文を贈ります。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、こと・わざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける
古今集の仮名序 前半です。
特に「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」が大好き。耳を傾ければ、全てのものが何かのうたを詠んでいるのです。耳を傾けさえすれば。
意味ですか?調べても結構ですが、何度も口に出すと味わえると思います。平安時代の言葉をそのまま味わえるなんて、日本語って本当にステキです。
質問者からのお礼
おはようございます。
お言葉を拝見させていただいております。
小生、心情を上手く表現が出来ず困惑されたことと御察し致します。
「限りある命」尊く、一瞬一瞬の時間が過ぎ行き「孤独感や不安、焦り」があり壁を越えるのは少しずつでも良いのかも知れません。
「何を選択して、どのように自分らしく生きるのか、かけがいの時間は大切な大切な時、考えるきっかけになれば」
この言葉は若くして永久の旅立ちをされた30代の方から教えていただいたメッセージ。
少しずつ少しずつで良いのかも知れません。
この度の講話、心より感謝致しております。